11月4日5日の土日に、私は、日蓮正宗総本山富士大石寺へと、第三回宗祖日蓮大聖人御生誕800年慶祝記念総登山支部登山へと、我がお寺では第3回目であり、今年の総登山は、我が菩提寺では、これが最後となる締めくくりの登山であった。
マイクロバス二台を使って、総登山へ向かった。夜十時出発であった。
羽生サービスエリア。
談合坂SAにて、一時間くらいの時間調整で、私も朝食のおにぎり等を、ここで買い求めた。
総本山へ日が昇る前に着山してから、常来坊宿坊で勤行、朝食を摂り、皆で今度は広布唱題会に行く為に、客殿まで歩いた。
このあたりでは、今年の三月二十六日の第一回総登山の時の桜の花が咲き誇っていたのを、しばらく思い出していた。
いよいよ、客殿へと歩を進める。
この日は、私は或る決意を秘めて込めて、この後に行われた、奉安堂での、大御本尊様への御祈念でも、御祈願した事があった。
それは、今、私を取り巻く、私の福祉関係者が、体調を崩して、不調気味の方が多い為、それら方々への、病気平癒、毒病快癒を非常なる思いで御祈願したのである。まさに、なづき(脳髄)が砕けるが如くに、病が軽くなり、完全に癒えるようにとの、私の拙い祈りではあるが、力強く大願成就をお祈り申し上げた。
創価学会第二代会長戸田城聖先生が建立為された、大講堂。
これが昨日、本来ならば、雨も予想された曇りがちな一日の中で、富士山の偉容を眺められた一瞬をカメラで撮り納めた内の一枚。
あとは、おぼろげながら、富士山を撮ったこの二枚。
バスで直通で奉安堂の駐車場へと乗り込む。これで、時間短縮、スピーディーであり、歩く手間ひま、苦労が軽減される。
この奉安堂には、弘安二年十月十二日に御建立の、三大秘法の戒壇の大御本尊様が御安置されている。ここでも、私は福祉看護医療関係者の方々への病気平癒の再びの御祈念と、我が家の母と私の安泰安寧安息、我が身の(交通も含めたすべての人生上の)安全安心と進歩、私自身の人格の向上と、人生が豊饒な豊かなカタチ、姿となるべく、そして、混迷を深め極めた、世界中の戦争状態へのこれ以上の犠牲者を出さないように、早期収束戦乱状態停止終戦。これらの大願成就(だいがんじょうじゅ)の祈りの他、これから必死になって目指すべきは、平和主義者の自分と必ず成れるよう、お祈りをたっぷりとして御祈願を致した。
最後には、私自身、前回にはそうした素振りは見られなかったが、感極まって涙が溢れだした程の、私の今回の御開扉の御祈念であった。
我が家へ帰って、改めて、その日に記念に総本山大石寺から頂いた、慶祝記念の御念珠を、見返して見た。今年の三月にも頂いたので、これで二つ目を頂いた事となる。
この日は、三連休の、最後の日の日曜日に当たり、山梨から神奈川、東京へと向かう高速道路が、非常に混み合って、渋滞が何十キロも続いた。それで、いつもよりも時間がかかり、お寺に着いたのは、予定の夜9時ではなく、夜10時となってしまった。家に帰って来てから、遅い夕食、服薬、遅い夕べの勤行と、滞りなく、行なったが、非常に忙しく、余りに疲れてしまっていた為、毎日続けていた、ブログ等々の更新は、出来なかった。
この御数珠、御念珠は、大石寺売店で、二千八百円で売っていたので、購入した。日蓮正宗総本山富士大石寺売店で売っている数珠は皆、箱や袋等の表に、「御開眼済」とのシールが書いて入って貼ってある。これも、これこそが、安心感の一つである。
ここにある他にも、大日蓮出版の書店で、この時とばかりに、大量に御本を購入してしまった。これも、また、積読ではダメであり、じっくりと読み込んでゆきたい。
この、十一月四日、五日の土日は、六年位前に、寿海寺支部として、母と一緒に総本山へ行った丁度その日であり、それを思うと、ただ、母の事が、非常に懐かしくもあり、コロナも明けた事からも、早く母のいる施設が、面会がいつでも自由になって欲しいと切に祈り願っている。
以上。よしなに。wainai