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『十四誹謗』について、自重、己の中で反省を致す

2024年08月26日 07時47分01秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 日蓮大聖人様は『松野殿御返事』に、
「『悪の数を明かすをば今の文には説不説と云ふのみ。有る人此を分かって云はく、先に悪因を列(つら)ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に驕慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり』と。此の十四誹謗は在家出家に亘るべし、恐るべし恐るべし」(御書1046頁)

 この御文でも、十四誹謗の恐ろしさを示されています。
 いくら有り難い題目を唱えていても、その人の信心に十四誹謗があるならば、その人の唱えた題目の功徳は消えて行ってしまうのであり、実際、同じように信心をしている人達の中でも、人によって戴ける功徳に差が生じてくるのは、結局、その人の信心に謗法があるかないか、あるいは、その謗法の程度はどれくらいか―等の違いによるのであります。
 その十四誹謗が重なってくると、現われる功徳に差が生ずるばかりでなく、ついには成仏できずに地獄に堕ちる場合もありますので、厳に戒めていかなければなりません。
(妙観講の基(もと)をなす信条「誠心」(じょうしん)第六十七世日顕上人御校閲)から御引用。

 私もこれら、十四誹謗には、信仰者として、非常に重大事として常に戒めているが、これが、守るのが私は信仰歴、信心歴が短いせいか、簡単に犯してしまっている、という、堕地獄行を犯しているさえと言える場合もある。
 これを制戒しつつ、自身で驕慢慢心謗法を起こさずに、自らを常に省みて、反省・猛省を日に何度も加えるのも、私自身に課された重要な仏道修行であろうと思い致している。

 反省だけでは足りない。そこから立ち上がり、二度と同じ過ちを繰り返さずに、前を向いて歩きだす。否、二度ならず、数多く、何度間違ったとしても、そこから再度立ち上がる事を止めない。
 「倒れたる者、地によりて起き上がる」「懲りず候」(宗祖日蓮大聖人・御書・趣意)間違えたと自身で気付いたり、人様から、特にこの信心の先輩後輩同輩、何よりも指導教師の御住職様からご指摘を受けたならば、即、向きを180度身を変えるが如くに、己の人生を生き方をその場ですぐさま改める事に躊躇はしない。これが正にことわざ「過ちを改むるに憚る事なかれ」である。
 私は、この繰り返しなのかな、と今は人生の半ばで、想いを持って生きて、生き抜いている最中の私自身なのである。

以上。よしなに。wainai


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