Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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私にとっての、シンガーソングライター・歌手「柴田淳さん」と個人的なファンとしての関わり・立場

2023年09月24日 06時14分12秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 歌手・シンガーソングライターの「柴田淳」さんとは、私は、深からぬ因縁がある。
 私の母が骨折で太田西ノ内病院に入院していた2014年夏頃、私は、その頃から愛聴していたラジオ機器の愛機、ソニーのICFーEX5MK2で、ちょうど、短波放送のラジオ日経を聞いていた。
 すると、皆、1970年代の曲なんだが、非常に情感があり、しかし、あっさりと、さりげなく、けれども印象に残る歌を、ある女性歌手が歌っていた。皆、カバー曲であった。
 私は、しばらくは、その音楽を聴いて、その綺麗で見事な歌いっぷりに感動して、その場で聞き惚れていた。
 しかし、その最後の曲を流しても、ラジオ日経では、一切、歌手名を言わなかった。
 私は、当時、ネットを調べに調べて、ようやく、誰が歌っているのかが判った。
 それが柴田淳さんだったのである。
 そうして、彼女の曲を買おうと思ったが、CD屋さんに行くのも忙しい程、毎日のように母の入院先の病院に通い詰めに通っていたので、どうしたら、あの、名曲群を買えるのか悩んだ。
 しかし、ダウンロードで曲が買える事が判り、改めて購入した。
 それ以来の、私の柴田淳さんの長いファン歴なのである。
 私は、そのカバー曲集の他にも、その楽曲を皮切りに、彼女の独自の作品群の森の中に入って行った。
 それは、当時、母は入院していて、私一人の、孤独な、今と同じ如くの、一人の家での暮らしぶりであり、それら、柴田淳さんの楽曲は、そんな孤独な人の人生、心を慰めるには、非常に、その歌詞、曲調からも、ピッタリ寄り添ってくれたのである。
 だから、私は、興味本位とか、容姿、単に歌が上手いだけで、彼女、柴田淳さんに、ファンとして付いて行っている訳じゃない。
 精神性、心の結び付きが、バックボーンがちゃんとあって、私は、ファンとなっている。
 その点を、S福祉協議会のヘルパーのKさんには、曲を流す度に、ボロクソに言われていたが、それら彼女の歌、楽曲群が私の孤独を慰め、鼓舞してくれた楽曲だったんだ、という事実を、本当本来ならば判って欲しかった。
 私が、この柴田淳さんという、そのヘルパーさんにしたら、無名の、得体の知れない歌手、と、ただ単に思われたのかも知れないが、私にしたら、孤独を救って頂いた、大恩人ともいえる人なのである。
 そこが、そのヘルパーさんと、私との、大きな差、である。私の言葉足らずもあったのだろうが、私の孤独な精神性を正に支えてくれたのが、歌手の柴田淳さんであった。これは、否定しようがない。たとえ、ヘルパーさんの好みの人じゃなくても。
 人間とは、悲しいものだ。自分の気持ちなど、他人から見れば、私の心の中をも、折角手にして、得た幸せや平安をも、簡単に蹂躙され得るような目にも、時として遭う。その人は、何ら悪気がなかったとしても。
 私は、それらの事共を、今度は、柴田淳さん、しばじゅんの曲を聴くたびに、思い返し、思い出すように、刷り込まれてしまいそうな感覚を懐くような心持が、常に付きまとうようになってしまった。
 けれども、私は、しばじゅんのこれら楽曲は、それら、ヘルパーさんに出会う前から、元々、母の入院時代からの付き合いなので、そんな偏見には屈する事は出来ない。柴田さんの楽曲は、私の正に生き甲斐だから…。
 私は、これからも、柴田淳さん、しばじゅんの曲を、相も変わらず、熱心なファンとして、いつでも、聴き続ける事であろう。それを、幾ら、赤の他人に邪魔立てされたとしても、これからも、それら文句に聴く耳は持つまい。それだけの自信は自分には強烈に、あの母の入院した日々の、私の孤独だった毎日からは、導き出された、これは、縁としかもう、言えないものである。
以上。よしなに。wainai


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