私は、時々、ファンである、柴田淳さんのツイッター、Xを覗いていたが、暫く見てはいなかった。
そして、昨日見ると、そこには、四年振りに、柴田さんが、CDを出すと言う。
そのタイトルが「901号室のおばけ」というのだから、あきれるというか、驚くというか、ここまで幼稚化したのか、ファンをバカにしていて、それでも付いてくるファンだけを、飼い殺しにしたいのか、私には判別がつかなかった。
私にとっては、柴田さんは、十年位前からのファンでもあり、特別な人、といった、私個人の感情があったのだが、彼女のX等を見てみると、結構、彼女は毒舌家、というのか、言いたい事をずけずけと言って、それが逆に、掲示板などで叩かれる、という悪循環に陥っている風なのだ。
私はファンとして、そんな風潮は悲しかったし、応援したい気持ちもあった。
しかし、今回のCDは、武部聡志氏という、プロデューサーだか、編曲家だかと初めて組んだ、と一部で、極一部で話題となっているが、そのCDの値段も強気の3,520円。たった一枚きりで、今時、こんな高値ってあるの?という驚きを持った。
それに、私はずっと疑問に思っていたのだが、彼女は、今は47歳だそうだが、少し数年前のテレビに出た時には、盛んに赤ちゃんが欲しい、とか、それには相手がいなくっちゃ、とか、これはラジオだったかTVか忘れたが、もう、できちゃった婚でも構わない、というと、司会者の人が、それは酷すぎる、と言われて、そうかあ、などと、迷いに迷っていた風なのであった。
こんな芸能界にいても、素直な人は結婚している方もいる。素直じゃないから結婚できないとは言わないが、私も人の事は言えない。
しかし、一応、芸能人ともなれば、売れる売れないに関わらず、お金には困らない人達である筈。どんなにその方が謙遜して、お金には困っている、と言おうとも。
私は、芸能人で、結婚したいのに出来ない、というのは、我々一般庶民とは違う意味で、何か、性格上の偏りがあるとか、問題を抱えていたんだと思っている。
そんなに結婚したかったのならば、相手を選ばずに、お見合いだろうと何でも、お金に飽かせて、出来た筈だと思う。
それに、私にとって、彼女の事で恨みに思うのは、数年前、今から一、二年前の春に、ヘルパーさんに柴田さんのブルーレイを見せた事が発端となった、私の人生上の事件があった。
それは、彼女の歌の映像を見せて聞かせると、そのヘルパーさんK谷さんは、真っ先に、この女性の歌い方は平板だ、だの、息継ぎがなく、上手く歌っている様で、心が籠っていない、だの、気に障る、と言っては、私も初めて視聴する、その日に買って届いたばかりのブルーレイを酷評されて、非常に心外だった。
私はその時は何とも思わなかったが、その日は土曜日で、一旦、休みの日曜日となり、その翌々日月曜日になり、午前中に歯医者さんへ定期検診へと行き、帰りにコンビニで昼食を買って帰る途中に、その二日三日前の土曜日に、怒涛の様に狂ったように私にこの女の人は嫌いだ、ダメだ、と唸っていた、あのヘルパーさんの言葉、態度、顔形、形相を思い出しては、今度は私自身が怒りに燃え立ち、絶対に許せない、と、家に帰って来てから、食事もろくに済ませずに、携帯を握り締めて、その事業所の事務所に直接電話で抗議した。「謝れ!」と。
それに今度は向こう側の、事業所の事務所の女性所長、一番のトップが電話に出たのだが、それに今度は私に対していきり立ち、全面戦争のようになった。
それに呼応して、その前者は社協ヘルパー部門だったが、二社体制で援助していた丸光も助太刀するが如くに、私の家への援助を断り、放棄する事を、私の福祉事務所に命じて来た。
これで完全に、私の命運は尽きた。この二社に、今まで食事の提供を支えられていたものが、この時を最後に、一切、我が家へは来なくなったのだった。
この時程、福祉なんて、何て冷たく、浅ましく、非情なものかと、自身、泣きながら思ったものである。
だから、この発端があの、柴田淳の映像集、三時間余に上る、あれ以来、私はあの動画は見てはいない。見るのもつらいものがある。
ただ、音楽については、これは罪はなく、私が、母といた頃から我が家で慣れ親しんだものである故、これは忌憚なく、余裕を持って楽しめるのである。
しかし、私が彼女を知ったのは、図書館で柴田淳のCDを借りたのが2010年代。
そして、七十年代のニューミュージックのカバー集「Cover 70's」だったかを買ったのが2014年の母が入院していた時。
私は、その時以来、ファンであるが、これを最後に、もう、彼女の音楽音源を購入する旅を辞めにしようと思った。
とにかく、もう年数が経ち過ぎた。あの頃は、私も三、四十代。柴田さんもそれより若かった。
私は何か夢を見ていたのかも知れない。芸能の世界に何とはなしに、憧れに似た、手を伸ばせば、届く距離感が、柴田さんにはあった。
しかし、それは人並み以上の努力あっての事。その事にようやく気付いた私が今の偽らざる自分である。
もう、いいでしょう。という私がいる。これ以上、何を望むの、と。
勿論、先にも書いた通り、私は彼女の作品は、今後も聴き続けていくつもり。
しかし、彼女が今後、発表する作品に対しては、今後は無関心、或いは、気分が動けば、購入に踏み込むかどうか。
今回の作品も、値段が三千五百円以上と、業界では今、どういう値付けをしているのか判らないが、余りの強気の金額で、こちらも驚く。
それだったら、別のものを購入する手立てを普通ならば考えるだろう、普通の人は。
一口に、普通じゃない人とは、或いは天才なのか狂人なのかが、判り兼ねるが。
とにかく、私は、一抜けた、である。ただ、彼女の過去の作品群は、何度も言う通り、聞き続ける。
それは、我が家に来ていた、同じく社協ヘルパーのW辺さんという方が、「アリス」の初期からのファンで、その後、国民的歌手・バンドとして大ヒットを飛ばした途端、急に、気持ちが離れて行った、それ以後をファンとして応援し聴く事を潔く辞めた、アレである、正に。
私も、その伝で行きたいと思う。
以上。よしなに。wainai
友人がCD-Rにコピーしてくれていただいたのですが、何度も聞いているとその声の魅力がだんだん分かってきて、初めて聴いた時とは違う印象になりました。
友人に、「言い方は悪いけど、例えばスルメみたいやね。噛めば噛むほど美味しくなるみたいに、聞けば聞くほど魅力が伝わる歌手…みたいな」といえば、
友人も「そうそう、まさにそんな感じ。」と、納得してくれました。
とはいえ、人の趣味にそんな失礼な言い方しかできない人は、この仕事に向いていませんね。
> いつもありがとうございます... への返信
いつもありがとう~、という事は、私がいつも訪れている、あのブログのブロガーさんなのかしら。
確かに、あのヘルパーさんの言い振りは本当に酷かった。酷評、とは正にこの事なのかと。
しかし、それもその方、それぞれが感ずる主観に基づく感慨感想である為、私が幾ら、
この人、この歌手、シンガーソングライターが好きだ、と言っても、
人にだって好みがある為、何一つ文句は決して言えない。
これに関して、私の菩提寺の日蓮正宗無量山寿海寺の副講頭のB場さんにその時、お伺いした所、
そのヘルパーさんはおそらく七十越えてたのかその前後か、六十代後半だったのか。
B場さんも八十を越えて元気でいらしたけれども、
こう言ったんですね。
そんな婆ちゃん、一番いいのは、演歌を聴かせるのが一番なんだって。
なんつったって、演歌歌謡曲に叶うものはその世代にはないナイ。
幾らでもwainai君(私)ならあっぱい(あるでしょう)?
三橋美智也だの三波春夫だの、春日八郎だの、村田英雄だの…。
そういうものを年寄りは好んで求めてるんだゾイ。
まあ、そういった、演歌・歌謡曲だったら間違いはないナイ。
今回は、wainai君の選曲ミスだナイ。
だってそうだバイ。そんな何だか判らない若い歌手持ち出されたって、
ヘルパーさんも困っちまうバイ。
Wainai君も世の中の勉強がたんにい(足りない)んだナイ。
もう少し、年齢関係なく、人の感情の機敏に触れて、
人生を勉強してみっせ。世の中判って来るから。
とにかくこれから食事だから、電話はこれ位にして切っつぉい。
私も、これは選曲ミスだったと、後の祭りですが、悔やみました。
そのヘルパーさんは、決して音感が悪いとか、意地悪、とか、性格も耳にも
問題はない方でした。井上陽水や大滝詠一の「幸せな結末」なんかを掛けると、
非常に童心に戻った様に感銘を受けられていて、常に平常心ではあったのです。
それが、柴田淳さんとなると、見方が私とは違いました。
これがそれが、世代間格差なのか、性別の差なのか、今では全く判別がつきません。
でも、今では、私も仏教者仏法者として少なくともあの時より成長していると自覚した上で、
全ては仏法の「自業自得」この四字に収まり、私の過去世にわたる宿業罪障罪業がもたらした
悪因縁が原因、契機、縁となって、このような結果となったと思う次第であります。
誰も悪くはなかった。柴田さんもヘルパーさんもそれら事業所も。
ただ、私一人がこれは悪いと今は認めざるを得ません。
以上。よしなに。wainai