2022年令和4年。12月20日午後10時
拝啓
おかあさん、お元気ですか。
今年も寒い年の瀬を迎えて居りますが、
如何お過ごしでしょうか。
私は、今まで、うちの庭で虫が鳴いていたのに、
もう鳴かなくなってしまい、何か一抹の寂しさを
感じてしまいます。
私も、年を重ねて、目が老眼となってしまい、
眼鏡もとうとう、老眼鏡をするようになりました。
しかし、眼鏡市場のお店の方は、度を軽く作ってくれましたが、
私は、毎日、目を酷使するせいか、
何か月後の自分は、目は悪いです。
これは、店の人は責められません。自分が自分で目を悪くしたのですから。
私は入院生活を通して、自分が余りに、
人に頼り、人のせいばかりにしすぎてきたんじゃないのか?
うちの御住職様、日蓮正宗の、先生は、何事も、自分が問題だ、自分が原因を作っている、と仰います。
仏教は、皆、過去世の罪障を背負って生まれて来た、と、釈尊も、日蓮大聖人様も、仰って居ります。
私は、今まで、余りに、人のせいばかりにして来た人生だったのではないかと。
私も今年で50です。50なりの人生を歩んできたつもりですが、結局、人生を悔やんだりもしました。
けれども、福島県立安積高校一年の時の、
社会科倫理の先生、六角勲先生は、
「諦める」と書いて、「明らかに窮める」と仰りました。これはダジャレでも何でもなく、
「四諦」と言って、
「苦・集・滅・道」の四つの真理を言う。
釈尊が初転法輪の時に、鹿野苑で五比丘に説いた、人生に様々な苦悩を集め作る原因(苦・集)と、
それを滅する方法(滅・道)のこと。と。
これは、「法華講員の教学辞典」という、ちゃーんとした、種本があるんですが、御住職様も、御本仏宗祖日蓮大聖人様が、言われた事は、御書のどこにあるのか、わかるようにしないと、本当はいけない、と仰られます。
もっと閉じた関係ではなく、開いた方向に、
行かないと、ダメだと思います。
私が我がままだったのは、決してお母さんのせいではないと思います。
仏教でも、子供の方から、親を選んで生まれて来る、と聞きます。
仏教では、親が選ばれる側なのです。あの、
コウノトリが、各家庭に廻って来る絵は、まんざら嘘でもないのです。
私の字は汚いでしょう?入院中に
ノートを2冊、みっちりびっしり使い込みました。
ボールペン4,5本使いました。これが出力、アウトプットです。
日蓮正宗の御本を、十何冊ももちこんで、大体は読みました。これが入力、インプットです。
急いで書いたせいか、余計に字が汚くなりました。元々、字は汚いですが。
今は、冬ですが、大聖人様は、
「冬は必ず春となる」と語っています。
明けない夜はない。
私はお母さんに、余り心配をかけずに、
頑張って生き抜いてゆこうと、
思いを新たにして居ります。
私はお母さんは勿論ですが、人様にも迷惑を掛けずに生きたいです。
そして、何よりも、笑顔で過ごしたい。
敬具
息子より、おかあさんへ。
長き文、ごめんください。