Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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井上陽水「傘がない」「少年時代」の世界観

2023年03月13日 17時23分02秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 長文、誠に失礼。
 
 井上陽水の「傘がない」という歌を、私の高校生時代に初めて聴いた。
 それに対して、母は大層嫌い、「暗い歌」と言った。
 しかし、私は、確かに暗いが、その背後の時代背景に注目・着目して、聴いていた。
 私の、解釈は、その当時から、一般の世評、井上陽水の人と、なりをみて、世人に習って解釈をした。
 つまり、「傘がない」という、歌の中で、テレビや新聞は、政治家などの言説を事細かく伝え、それを、大々的に訴える。
 この当時、学生運動が盛んであったが、それに対して、陽水は、学生運動も大事だろう、政治デモも大事だ。宗教論争も大事だろう。
 しかし、もっと大事なことがある。けれども、もっと大事なことがあるのではないのか?こう、陽水は歌う。
 明日のごはん、や、この歌の通りにする、言うなれば、今日、彼女の家に行くのに、肝心の傘がない。傘が盗まれたのか、壊れてしまったのか。とにかく、今、傘がない。それが、何物にも、何よりも増して、肝心であり、大事で問題なのだ、今の、この歌の青年にとっては。
 これを陽水は、傘がない事を極めて問題視する。
 雨に濡れて行かなくちゃ、雨の中を~いかなくちゃー、君に会いにいかなくちゃ~きみのうちに行かなくちゃ、傘がない~、とリフレインが続く。
 ここで、陽水氏は、傘がない事だけを強調して、この曲を終わらす。
 如何に、個人の生活が人生において大事で重要か、を井上陽水氏は訴えて、この曲は、昭和の名曲となった。
 そんな事共を、母に聞かせて、話してみると、母なりに、納得はしたようである。その後、そういった、暗い曲、一辺倒の解釈は、影を失った。
 しかし、一番大きかったのは、平成の御代に大ヒットした、同じく井上陽水氏の「少年時代」という、名作の楽曲であった。
 あの歌に歌われる、抒情、夏から秋へと移り変わる景色の中で、本当に、夏が来るんだか、夏が去るんだか、いつも、夏と共に聴きたい、名曲として、井上陽水が世に問うた傑作作品であり、この曲こそが、井上陽水の、最高峰の真骨頂とも言うべき、最上極上の音楽である。
 この曲一曲で、母の、井上陽水の評価がガラッと変わった。大のお気に入りの曲の一曲にこの作家の曲が変貌し、母の好みにも見事、合致した。
 夏になると、この名作の楽曲を掛けると、母と一緒に、夏が来たのを実感した。
 正に、「暗い」と母に言わしめた、「傘がない」とは対極の歌であった。
 その後、私は、陽水の「リバーサイドホテル」や、「いっそセレナーデ」「飾りじゃないのよ涙は」等々の、陽水の名作を、カセットにダビングして、録音して、それを母と共に聴いた。
 母も、リバーサイドホテルの意味は知っていて、川の側、という事で、うちの以前、栃木県黒磯にあった我が家所有の土地が、那珂川のほとりであり、「川沿いリバーサイド」という歌詞に、大層ご機嫌な母であった。
 漸くコロナも落ち着きを見せて、コロナ終幕カウントダウンとなりつつある世の中だ。
 そういう母であったが、そんな母も、高齢者施設に入って、既に五年位が経とうとしている。今となっては、全てが懐かしい日々である。

 以上。よしなに。wainai


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