Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

キリスト教と仏教、なかんずく、その雄の日蓮正宗との超えられぬ差!この世の掟というものがハッキリとしてある!

2024年07月12日 00時01分53秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
キリスト教と仏教、なかんずく、その雄の日蓮正宗との超えられぬ差!この世の掟というものがハッキリとしてある!
(wainai123753)2024-07-11 23:26:41>
>仰る通りでございます。大航海時代から植民地主義の時代に入るまでは、東アジア中心の... への返信
キリスト教は異教であり、私共の仏教、乃至は、日蓮正宗の御教えでは、「外道」宗教、という事であり、その実、その背景には、一神教の持つ、排他性、排外性、等が見られ、彼らのそれが道徳律としても立派に機能している。
それらが、白人優越主義、有色人種差別主義を、キリスト教自身がもたらした、という事実は、これは彼らが如何に強弁しようとも、覆せない。
彼らは言うであろう。我々の教えは、道徳的であり、平和的であり、愛の教えである、と。
とんでもない。あんたたちこそが、地上に宗教の盲目の闇と暗黒をもたらしたのだと。
植民地支配、黒人売買、人種差別、古くを訪ねさかのぼれば、今先程も言った、十字軍、宗教裁判、宗教戦争、魔女狩り、ろくな事をキリスト教及びその信者たちはやっては来なかった。この事実。どう責任を、現代現在のそれらの宗教指導者たちは取る積りなのか。考えただけでも虫唾が走る、おぞましい程の、罪、罪状ではないのか。
自分らが、罪人から脱して、幾ら、悔い改めで、真人間になり、戻ったと勘違いしても、いつも、イエスが十字架にはりつけにされても、依然この世には、罪と汚れが充満している事実。それにはイエスも、パウロもそれからローマカトリック、東方正教会、プロテスタント、いずれも無視を決めつけている。
大体が、この世を神が六日間で作り上げた?そんな芸当が、今の最新の最先端の科学ですら否定された事実を、いまだに信じている、字面通りの、バカがいる。これには驚きを通り越して、ただ、笑う他ない。大笑い、笑い種だ。
そして、神がいるならば、その、人の前に、神を立てた時点で全ての過ち、矛盾が生ずる。
じゃあ、その神を作ったのは、一体誰なのだ。この質問に答えられる、キリスト教徒、神学者、神父牧師はどれ位いるのか、聞いてみたい位だ。
最初に神をつくったものがいるはずなのだ。何事も因果の道理で説明され得るのだから。それで、計算してゆくと、神を作った神、またその神、とこれは、因果の理法から言えば、収拾がつかないお話となる。それに、神の誕生、というか、神が本当にこの世の中を、宇宙を作った、ビッグバンが実際に、神が起こした、というならば、その直前、宇宙が誕生する、何十兆ともつかぬ時間の前、その開闢の時には、一つの原子の様な、極小さな粒子があり、それが一瞬にして大爆発、膨張して、今現在の宇宙が出来上がった。その時以前はその粒子すらなく、この世は無であった。空間すらなかった。神の存在するスペースすらない、なかったのである。
であれば、どこぞに、神などがいられようか?神は、だから私などの、仏教の、日蓮正宗信徒から言わせれば、最初から無かった存在。絵空事。空をつかむ話。神を最初に立てた人物は、重刑に処すべき、世を惑わしかどわかした、それこそ重罪人であろう。
そういった、人類の始祖たち、原始時代から、有史時代へとの過渡期に、それら、悪徳宗教がはびこる萌芽が既に芽生えていたのだ。
そのキリスト教を代表とする一神教が、今となっては、道徳宗教の代表格としてしか、名を残せない、情けない宗教へと成り下がった。元々、この宗教に、大義といったものなど微塵もなく、ただ、体制に順応して、教勢を拡大させ得た、実にラッキーで一時的に、歴史に名を残せる位にはなった宗教ではあったが、その実は、虚妄に満ち満ちた、ウソで塗り固めた、丁度、今の創価学会の如き邪宗教であった。
それから話を音楽論に戻すが、音楽と宗教は別物だとの説は、これは採用しても良いと思う。そして、話としては、インド月氏発の釈尊が創始の仏教が、東に向かい東土の扶桑国、秋津洲の日の上る国の日本国へと到達する。既に中国では、その流れを汲む天台大師が天台宗で中国の宗教界を牛耳っていてその権威は莫大であった。それから日本の伝教大師が入唐して、主に法華経を修めて、日本に帰り、日本天台宗を開く。その後の弟子たちは密教化に手を貸して、自らを台密と称するに至る。時代的には、末法思想はびこる、念仏の哀音の足音が急速に広まり出す。
時は鎌倉時代、今の千葉県鴨川市に、一人のやがては僧侶、そうして後の世、しかし既に当時から、仏と仰ぐ人々もいた、聖なる御方が居た。幼名を善日麿といい、元は海人の子だという。そして、大事に父母に育てられ、やがて清澄寺に上り出家得度する。そして研学の為、比叡山延暦寺も上るが後に下山しつつ、京都奈良を遊学する。そして、千葉の清澄山に戻り、「南無妙法蓮華経」と発して、立宗宣言さる。その後の難かつ知ろしめせり。その後、一番弟子に日興上人を選び、池上邸にて没する。御寿61歳。日興上人は身延山の謗法から逃れて、富士大石が原に、総本山富士大石寺を建立。数々の重宝を持ち携えて。この時も、大御本尊様も当然御奉持為された。爾来大聖人御誕生八百余年。富士の清流は今日でも些かも変わりはしない。
以上。よしなに。wainai



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。