本日、福祉の関係者(福まる相談)二人が、我が家を訪れ、私は調子に乗って、音楽を掛けていた。
すると、そのベテランの一人の方が、私の大事に個人的に信奉している「柴田淳さん」の音楽を聴きたいと所望をされた。
私は、アップル社の音楽ソフト、iTunesにて、まずは、初期中期ベスト盤、や、「Cover's 70」の、最初に私が買ったカバー楽曲群を、紹介がてら、掛けた。
特に、このカバー楽曲は、私にとっても、思い出深く、母の入院中に、この楽曲を、ラジオ日経の音楽番組にて聴いていて、初めて知った楽曲群であり、素晴らしいと思い、その後、彼女の作品群に触れる端緒となった。
しかし、まず、音楽を聴かせて、その方が思った事は、「柴田淳さん」が、歌じゃなくて、何か、ピアノとか、バイオリン等の、歌ではなく、楽器演奏者だと、私のブログからは、考えていたと言う事。これには、唖然、私も言葉が足りなかった、というか、迂闊であった。言葉足らずで、済まない、と言った感覚であった。(丁度あの時あの頃は、連日、ピアニストの、「反田恭平さん」を大分フィーチャーして書き、一緒くたにして、まるでクラシック盤のCDの書評のような書き方になっていたので、これは私の書き方がまずかった。済みませんでした。誠に申し訳御座いませんでした。福祉まるごと、様。)
それでも、私のブログの、柴田淳さんを見て、「綺麗な方」と仰っていたのには、この私にも好ましく、自分の事のように非常に嬉しかった。
その後、「幸せな結末」の、大滝詠一などを聞いていたが、最初の、「君は天然色」は判ったが、その後、「恋するカレン」、「カナリア諸島にて」、など、軒並み、全滅な程、聴いた事がない彼らの実態が発覚。これには、私も驚いた。
かろうじて、「さらばシベリア鉄道」、「バチェラーガール」、等が判ったのが、本日の、収穫だったような。いずれにせよ、世代間の、「壁」の様なものを、ひし、と感じた一日だった。
まあ、この日は、私のお金の荒い使い方を指摘されるかと思ったが、さにあらず、何の注意も無かった。この日は、私の大好きな趣味、カメラ談義と、音楽談義、ラジオ談義となった。私と親睦を深め、いつも、電話等では話せない事共、様子を伺いに来たと言う彼らの帰り際の後ろ姿を一生懸命、後を追い、追っかけても、音楽の説明の最中、帰られてしまい、悔しいような。でも、彼らも仕事であり、忙しい中、お呼びしてうちまで上がってもらって、私が途中、見送っている次第の、もう少しいて欲しいと懇願していた。何か話足りない、私なのであった。やっぱり、一人は孤独だなあ。
以上。よしなに。wainai
比較的、長文失礼。