Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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昭和の頃の、郡山市の小学校鼓笛隊パレードの不開催を祈る=二回とも願望が叶ったかの如くの不思議な想い出

2024年05月15日 18時14分55秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 私は、小学校何年生で有ったろうか。その時、平常の授業をつぶしてまで、我等学年は、一日に数時間、その時に集中して、鼓笛隊パレードの練習をしていた。
 そうして、私は当時、歩く時に、楽器を、笛を提げて歩くのだが、今の颯爽とした歩き方と違って、「なんば歩き」というのか、手と足が一緒に出てしまう事があった。多分、緊張感から、そんな風に振舞ってしまったのであろう。
 それで、これも同じ学年の、今から思えば、小物男というか、その後そいつが、高校では、大した高校へも進学も出来ない程の、私との学力差を私につけられた程の、男子が、私を「手と足一緒、手と足一緒」と言って、今考えると逆の立場で、バカにするのである。
 或る女性教師からも、貴方の歩き方にはクセがある、と難癖をそれこそつけられてしまい、私の父親が後天的な交通事故による身障者であり、足を引きずって、つえをついて歩く姿が、学校付近で父の姿が見かけられた事等を私自身、まず考えた。これは、私、及び、私たち一家に対する差別だとも内心、思った。勿論、私達家族の、血の結束力による、私独自の妄想もあった事だろう。
 余計引け目を感じてしまい、私は顔を真っ赤にして、その恥を忍んだ。その時に、こんな地獄のような毎日を過ごさせられて、本当に、この、郡山市が主催する、市立小学校の「鼓笛隊パレード」が、何としてでも、絶対、是非とも、中止される事を、この時程、その当時は漠然とだったが、やがて、開始の前日などは、自身で何者かに祈る程の、入念な御祈念を捧げつつ、パレード非開催を盛大に祈った。
 当時当日は、テレビ局のカメラも来るという事で、私の心臓は悪く高鳴り、この断末魔、その時、もしも、私がその悪辣悪坊主の、その悪童にいじめられている図が、そのテレビカメラに納まる姿、を想像するだけで、おぞましく虫唾が走った。
 その為に、全身全霊を捧げて、何者かに祈った。それが、今現在ならば、当然、日蓮正宗の御仏前御宝前の御仏壇の御本尊様への祈りともなろう。
 それが、対象物がないものであるし、その唱える言葉も知らず教えられずであり、とにかく、必死で何かに対して祈った。

 その当日。テレビチャンネルにて、その開催が、出来るか中止かが、そのテレビの時間帯に報じられる、というので、私は注目して見た。
 すると、その日はたしか日曜日であったか、「中止」と出た。天気が雨であり、中止なのであった。私は何故か、自身の祈りの御蔭とは、その時ですら、慢心と言う言葉は知らなかったものの、まさかとは思ったが、自分の祈りの御蔭とは微塵も思わず、ただ良かったとの、何故か安堵したのを覚えている。
 その日は、学校にも勿論行かずに済み、家でのんびりした一日だった。
 その一週間後か二週間後か、また、鼓笛パレードの日が巡って来た。
 私は例により、また、不純な祈りとは思わなかったが、不開催を祈った。私の命、魂が掛かっているのだから、これは許される。何者かに、またまた、今度も今生の限りに、祈りに祈った。
 そうして、疲れてしまい、その日は眠ってしまった。

 その後、朝を迎えて、同じく、テレビを見てみた。すると、何と、またまた、今度も「鼓笛隊パレードは中止」と出た。
 又もや、外を見ると、私を応援するかのような、雨模様であった。
 市のパレードの決まりでは、二回中止となった場合は、お流れ、永久に中止、開催はされないとなっていた。
 確か、この時のように、パレードが二度も中止となった時は、私達の年が初めてであったと聞いた気がする。

 私にとっては、この時、音楽どうこうよりも、集中的に音楽を叩きこまれたのは自身の血肉になってはいたが、むしろ、今回は、救われる出来事であったし、私の親にはこの時は、一切この事は言わなかったが後年、この時の事を母には言った。母は母なりに、私の言う事を、そう、そんな事があったの、程度であったが、そんな事もあるんだとは、母は思った事であろう。
 何事も、祈りとして叶わざるなし、である。まさに。祈りは叶うと信じても良いとこの時は私は一人、思った。
 だからその後の、信仰、宗教の選別には、自他共に、集中力を要して、多年を掛けて調べ上げて、今の日蓮正宗の信仰信心がある。とはいっても、私も御多分に漏れず、宗教二世、三世の立場ではあるが。そうして、法統相続は、私までは、今の今までは実に上手くいっている。
 この時の中止の事を、私共のクラスメート他が、卒業文集等に、非常に残念だったとの言葉を、その文集に載せているのを見て、私なりに、非常なる畏れというか、あの時の事を時折思い出している。
 私は、あの時の自分が神懸かりとは、露ぞ思わない。いまだに私の祈りのせい、御蔭かも怪しい。そんな力は私にはないに決まっている。しかし、人間が真剣に祈れば、天地万物、自然の天候さえも応え得るものだとの、大自然、否、仏界の仏様の世界の如くの、第六番目の天界でもまだ足りない、そんな因果の理法に基づいた、仏教仏法的な世界が薄っすらあるのかも知れないとの念慮がした、それを思い知った、小学生の時の時であった。

 また、思い上がってもいけない、とも、そうした畏れの念慮も勿論私の中で持ち上がる。この考えは増上慢ではないのかと。だから、母以外には、誰一人にも、この当時の事は話した事は無かった。だから、これを読んだ皆様には、一笑に付して、笑って聞き流して欲しいとも、私のこれはもう一つの願いなのである。
以上。よしなに。wainai


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