キリスト教の教会や放送番組を見たり聞いたりしていると、必ず賛美歌、聖歌が歌われる。賛美歌がキリスト教の重要な核、持ち味になっているのが判る。
しかし、よーく考えてみれば、賛美歌がキリスト教の宣伝、宣教を担っている事は事実だが、あくまでも歌に過ぎず、キリスト教の教義、教えとは何の脈絡もなく、後世の産物だ。
キリスト教の本体は?と言えば、聖書に尽きるが、聖書は近代以降、どんどん現実との乖離が目立ち、時代遅れ、科学と対立・矛盾する憂き目に遭っている。
そこで、キリスト教の教えを聖書ばかり用いると自身のマイナス面ばかりが目立つので、賛美歌を使って、教えの矛盾を覆い隠そうとした。それがキリスト教の現在の現実なのだ。
究極的な自己矛盾、欠陥宗教の内面を賛美歌でゴマカシ、逃げて、今風の軽いポップス、クラシック、ジャズ等々を取り入れて出来上がった張りぼて宗教がキリスト教の本質なのだ。
キリスト教など、百害あって一利なし。日蓮正宗の手に掛かれば、赤子の手をひねるよりも簡単にその本質、実態を切り捨て、破折される運命なのだ。