以前、今から二十数年前、私の地区の創価学会の座談会で、今でもその人を覚えているが、その当時三、四十代だった男性学会員が、昔を懐かしんで、皆の前でさも嬉しそうに語った。
曰く、その人が高校生位の時、郡山から皆でバスに乗り、静岡県の総本山富士大石寺にお参りした。大御本尊様を見て感激し、あれだけ疲れていたのに、帰りの車中では元気がモリモリ溢れて来て、ああいうのを御利益、功徳というんだなあ、とその方は遠くを見るように感じ入り、当時を楽しそうに振り返っていた。
その時の創価学会は、日蓮正宗とは反目状態で、お山なんて登っちゃ絶対ダメ、という風潮が蔓延していた。その男の人の体験談は、本当はいけない事だが、幹部も座談会に来ておらず、創価内では黙認、皆、当時を懐かしむ人もいた。
その、当時三、四十代で、血色が良く、背の高い、少し太ったその男の人が、そこまで言うんだから、当然日蓮正宗に改宗し、勧誡でも受けているんだろうと思い、私も創価を脱会したが、今のお寺で、残念ながらこの男性にはお会いしていない。
その話をお寺ですると、その男性の名前は?と聞かれたが、最初から名前など聞いておらず、知らなかった。迂闊(うかつ)だったが、しょうがない。H田さんというお寺の方も、そうやって大石寺がいい、お山は良かった、なーんて言っていても、学会の幹部の言う事や聖教新聞等に騙されて、すぐ心変わりしてしまう、そんなもんです、とあきれ顔だった。
どんなに日蓮正宗、富士大石寺、大御本尊が良いと判っていても、一線は越えられないのか。
私も、昔、ここ何年も、学会員には言わずに、うちで母にしょっちゅう創価への疑問、日蓮正宗への憧れ、回帰を訴えた。母も同じく、あんたがそういうなら、それも仕方ない、と同意していた。
母と栃木県黒磯の我が家の土地を見に、母の運転の車で四号線を南下する。須賀川市を通り、途中、広宣寺という日蓮正宗のお寺を見ると、母も「寄って行こうか?」と聞く。私は、曖昧な返事で、「又今度ね」とか言って中々踏ん切りがつかない。
創価を脱会するという事は、やってしまえばとても簡単だが、当時は中々決断が鈍り、チャンスを逃していた。
私だって、三年前の、交通事故の被害者にならなければ、郡山市日蓮正宗無量山寿海寺の信徒になる事もなく、全く疑問も不審にも感じず、未だに創価会員として依然として創価の害悪の被害者だったかも知れぬ。
それ程邪宗教の害毒とは気付いていても何も気が付かないものなのである。
時間はあっという間に過ぎてゆく。人生もあっという間に過ぎる。正に、日蓮大聖人の言う「万歳(ばんさい)を悔ゆる事なかれ」であり、いつまでも決断力が鈍ると、人生が後悔の残る生き方となる。悲しいが、それが現実だ。