Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

『これが私流、処世術・平和主義者の全貌!』自分事ながら敢えて、周囲の人が言う、私へ投げ掛ける一つの言葉も判らないではない

2024年11月17日 18時37分19秒 | 日々雑感・エッセイ随筆文章・その日その日の想い
 今日の御会式での、B場さんの発言。wainai君に聞かれると全部ブログ記事となって、書かれっちまうから、今日は後ろの方に行っててくれないかねぇ。とこうだった。

 それは先述の、私の福祉相談室の室長も同意見であり、それを読んで誰が喜ぶの、とまで言われた。

 私は自分の備忘録として、いつ、いかなる時に、誰が、どんな事が起こったのか、それを書きとどめたい、と思っているだけだ。

 私の病院の、現在の主治医の女医先生の、その直前の、一代前のこれも女医先生が、私を診ていた、二年前の九月終わり頃に仰られた事がある。

 それは、私が、記憶力が人よりズバ抜けて良い事を知った先生が、wainaiさんは、生まれる時代が違えば、その記憶力を生かして、絶対に稗田阿礼の様になっていたはず。とこれは、多少のヨイショもあったでしょう。しかし、その時女医先生は確実にそう言った。

 私は、我が家の父母にも、私の記憶力の良さで何度も驚かせた事がある。子供の頃の事を大人以上に私は覚えていた。

 すると、母は第一番に疑った。それは嘘か夢かいずれかだと。学歴では母の方が父より上でも、父の捉え方は真実に一風、変わっていた。父曰く「三つ子の魂百まで」と。

 父と私は、むしろ母なんかよりも、私が幼い頃、親子水入らずでいた期間が長く、父の方が私の特徴を知り抜いていた。

 そんな私だが、確かに、相談室室長さんが言う通り、バイアスが掛かり、時間差で、私の文章は多分に私の主観が入っているのか、とは思うが、事実のみ、を書く事の難しさがここにある。

 私は時折、自身がメモ魔だと思う時があるが、いつもなん時でも、メモ用紙、ペンがその場にある訳でもない。今では「スマホ」という有力な武器、手段もあるのに、その詳細な使用法が判らないと来ている。

 それだから、私は自身が真実の事実に基づいて文章を書いているのか。これはノー、かも知れない。

 だから、私は、日本のマスコミ、特に不偏不党を標榜とする新聞社の記者にはなれない。あくまでも、「日本の」新聞記者である。

 私が聞きかじった所では、アメリカの新聞社では、今回に限らず、大統領選でも、自社のお気に入りの候補者を社を上げて支持すると言う。

 自由の国(とかつてから言われてきた)アメリカがそうなのだ。日本の不偏不党という思想が、社是が、世界でどこまで通用するのか。判らないが、世界の非常識、非標準かも知れない。

 アメリカでは、各記事に、新聞記者が責任をもって署名すると言う。

 そのような環境の方が、誰が書いたか判らぬ日本の慣習より、私にはピッタリだ。

 いずれにしても、相談室室長さんは、日本の戦後の割りと古い世代。B場さんはもっと。

 その方々が個人情報を盾に、言論の自由との相克を演じる。

 私に言わせれば、あの個人情報保護法は天下の、稀代の悪法だと考える。

 元々、自公政権でごり押しで成立させた代物だが、その背後には、邪政治団体公明党の創設者、邪教創価学会名誉会長・池田大作氏が関与したと噂される。

 彼の収入は、それまで、億万長者として、納税者ランキングに毎回載る程の大金持ち。

 その歯止め、ストッパー、情報隠しが、今言ったいわく付きの法案だった。 
 
 つまりは、池田の私怨で、或いは庶民からの逆恨みをこれ以上、絶つ為に、あの法案は出来た。

 そうした、古い昭和の世代が、格好の餌食に個人情報保護法を最大限に利用しまくっているのが腑に落ちないし私は笑いを堪えるのに必死である。

 いざ、自分に一旦、都合が悪くなった者のオモチャ、遊び道具の様なのが一介の日本のギャングの様な政党群が作った法律体系。

 しかも、それに加担し、応援までしている者共は、現在もそれら法律を作った側じゃなく、むしろかつて昔は国会でも選挙行動でも当時反対に回った側、反動勢力の張本人。

 これが笑えなくて、どうしようと言うのか。

 これは、個人情報保護法に対する、いざとなれば自党に利する、最大限の矛盾、皮肉、滑稽なまでの野党側による、身勝手な権力利用に思えてならない。

 とにかく、言論の自由の思想上、私から、文章綴り、物を書くと言う事をどんな者、権力でもさえぎる事等出来はしない。

 ただ、この私ですら、聞く耳は持ち合わせている積もり。人が迷惑だ、等々の心からの声には、敏感に対応対処してゆきたいと思い、考えます。
 
 これは、或る意味、私の敏捷(びんしょう)で異様で或る種、いびつで歪んだ、記憶力が為す業。福祉相談室室長さんの言う通り、右の耳から左の耳へ、聞き流す。キレイさっぱり忘れ去る。忘れる事は罪じゃない。むしろ良い事尽くし。善なるかな。脳科学から言っても的を射ている。

 そうじゃなかったら、この世は生きづらい住みづらいし、余計な事ばかり覚えていて、肝心な事忘れた、になってしまう。

 それじゃあ本末転倒だとも考えます。

 『処世術』として、特に年輩者、人生の先達、先輩方の顔をここは立てて、自身、やり過ごし、大人しく振る舞うのも、大人の、若輩者の私が見いだすべき生きる活路なのかな、とも思う今日この頃です。

 誰をも責めちゃいけない。勿論自分自身も。心の有り様をニュートラルに、極自然で何ものをも傷付けない在り方。

 それこそが私の標榜とする、まさしく『平和主義者』の全貌なのであります !

以上。よしなに。wainai

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