ワクワクしていた〜
青島への渡航の前日、いつもより少し早めに会社を抜け自宅に帰る。まだ嫁は働いているのでスーパーに寄っておでんの材料を買い煮込んだ。
バックパックに荷を詰める。圧縮バッグに下着を詰めてバックパックに放り込む。
当初はGジャン着て行こうと思っていたが思いの外、寒いようなので革ジャンを着ることにする。
肩から襷掛けのポーチには財布とパスポートとWi-Fiルーターとスマホ。
とりあえず久しぶりの旧友TABUCHIとの再会が楽しみだ。そして未開の地を目に焼き付けて来よう。
前夜のカバンを作るところから既に旅は始まっているのだ。
中国本土へは家族で上海を訪れた2010年冬以来、9年ぶりとなる。
関空から空路3時間半、中国東方航空は無事に青島にランディングした。この航空会社はLCCではなく一応は食事がサーブされる。
TABUCHIとの20年ぶりの再会。この地で16年以上活躍してきた様子を色々聞かせてもらった。
これまでの生活、中国の事、仕事の事、これからの事、話しは尽きなかった。
そして最初の夜は飲み慣れないJINROを生でガブ飲みし最後の記憶がないのだがキチンとホテルに帰ってきていた。感謝
“人生熱く生きなければ価値がない〜”
久しぶりに大切な事を思い出させてくれる再会だった。
しかし不覚にも翌日は体調が悪く、昼すぎに麺屋に連れて行ってもらうも食べれず、観光すら出来ず夕方まで部屋でただただ休んでいた。もう若くはないのだ…。
中国には『接風』と呼ばれる風習があり、仲間達が集まって食事を共にするおもてなしである。
この夜、TABUCHIはそんな中国らしさを僕に伝えるべく中国人の親しい知人を集めて会食の席を設けてくれた。中国富裕層との食事会である。
僕が体調を崩していたから無理矢理に酒を飲ませる事をそれなりには控えてくれたようなのだが、それでもその食事会は高級レストランの個室にて主宰者であるTABUCHIの3度に渡る乾杯から始まった。その後、参加者がその食事会に参加した御礼や参加者全員の健康を言葉に表しながら其々3度ずつ乾杯を唱えるのだ。
つまり昨夜は6名だったので18回の乾杯が続いたのである。小さめのビールグラス、老酒グラス、少なめに注がれた赤ワイングラスを手にグイッと空けるのだ。
なかなか一観光客が経験出来る事ではないのである。
皆んなに今度来日の際は京都を案内すると話した。その際は観光の後にうちのサロンでパーティーが出来たらと思った。アリカコレクションのジュエリーも紹介したい。
帰りの朝、元気になった胃袋に朝食会場でお粥を食すと完全復活となった。あまりにお粥が旨くておかわりした。
前日全く観光出来なかった僕のために青島観光へ案内してくれた。
青島浅橋、ここはドイツ軍占領下の頃の防波堤がそのまま残っている。
屋台でヒトデが売られているのを見て驚いた。中国ではヒトデも食べるのだ。
青島ビール博物館へ。ココは第一次大戦後、日本のアサヒビールが占領してビールを作ったらしい。その後は中国管理下に戻され現在では世界有数のビールメーカーとなった。
青島では食べるべきと水餃子の店へ連れて行ってくれた。美味!
空港へ送ってもらう途中、最高級の岩茶を売る店によりお土産に高価なお茶をプレゼントしてくれた。TABUCHIは奥さんと牛窓のペンションを買い取りゲストハウスとお茶の店を始めたらしい。そのモデルとなっているのがこの店だとの事。
今回の旅、TABUCHIの話で最も僕の心に残った言葉、それは中国は「法治国家」ではなく「人智国家(人治国家?)」だという事。
人と人との結びつきが最も重要でありそれはある意味全世界どこでも共通ではあるが、中国の場合は公務に於いても人づきあいがなくては何も始まらないとの事であった。国から許可を得る為にはその公務に携わる人とのDEEPな関係が必要となるのだ。
その結果、上級公務員は私財をどんどん増やし富裕層となっていく方程式が出来上がるのだ。
この10年で中国は大きな変貌を遂げた。TABUCHIの話では13億人の人口の1割は億万長者との事である。つまりこの国には日本の人口とほぼ同じ数の億万長者が住んでいるのだ。
貧富の差が激しいこの国が今後どのようになっていくのかは正直全く見当がつかない。この国は国が突然NOと云えばその翌日からNOとなる国なのである。子供は1人だけしか産むなと国に定められ、万一2人目を産むとその親は2人とも職を失ってしまうという国だったのである。
街は巨大で幹線道路は片側4車線とひどく幅広く、高層ビルがそこかしこに立ち並ぶ。TABUCHIがこの地に来た頃はこの辺りは何もなく海で北朝鮮の工作船のような小船が並んでいたと話す。
このような大きな変貌だが、僕が携わるジュエリーに関しては誰もイタリアンジュエリーなどまだまだ理解していない様子で、所謂、ファッションという分野に於いてはここ青島はまだまだ街の発展に全く追いついていないようであった。
恐らくこれから先しばらくして少しずつそしてそこから一気に浸透していくのであろうと思われる。
最後に、今回の青島滞在中は僕に両替すらさせず全ての面倒を見てくれたTABUCHIには心から感謝している。
20年近くぶりの再会であったが、歳こそ取れど記憶にしっかり残っている昔の面影の上にこれまで積み重ねてきた人としての経験値を纏い良い大人になっていて頼もしかった。
僕の知らなかったこの街でひとり頑張ってきたのだ。
本当に来てよかった。また来ます!ありがとう!
青島万歳!