2020年を振り返り〜
年始、まさかこのような現況になるとは思ってもみなかった。
今年は僕の人生においても忘れられない一年になったとつくづく思う。
この一年を思いつくまま振り返ってみようと思う。
今年はアンコールワット一人旅から始まった。ホーチミンからシェムリアップへのバックパック旅。楽しかった。幻想的なアンコールワットの朝焼けが美しかった。昨年から始めた新しい趣味である中年バックパック旅だが、この頃はこれから訪れたい色んな旅先の候補をスマホのメモに書き記したりしていた。
そして2月はバンコク出張にくっつけてホアヒンへ世界最大の鯉パーカーホを釣りに行った。
その頃辺りからコロナの話題が巷でチラホラと。しかしまだまだ対岸の火事だと思っていた。
そしてタイから帰国した翌日、オフクロは背骨に20本ボルトを打ち込む大手術を、その数週間後に今度は嫁が耳の後ろの頭蓋骨に500円玉強の穴を開けて神経を圧迫する血管を剥がす大手術を実施したのであった。
4月5月はコロナ禍によりスタッフらに会社都合で休んでもらいながらの経営。営業スタッフらは20日ずつ程は休日にしてもらった。
オフクロが4ヶ月ほど入院している間、両親のマンションに出来るだけ足繁く通い何も出来ないオヤジの家事をこなし料理を作った。
オフクロが入院中、何度となくオヤジも詰まった血管を拡げるべくカテーテル検査のため入退院を繰り返した。
そしてオフクロが晴れて退院となった時期同じくして、今度はオヤジが脚の指から敗血症となりよちよちとすら歩けなくなり入院生活を送るようになった。
長年続けてきた透析により身体にガタが出てきて秋に病院を転院し両脚の親指を切る手術を実施、その際にせん妄という症状が出て一時精神的にも不安定な状況となり大変であった。
このコロナ環境下にて入院見舞いも出来ず大変辛い日々が今も続いている。
仕事に関しては、このコロナにより春から夏にかけてのほとんど全ての企画が中止や延期となり、更には仕入元である海外へも出る事が出来ず八方塞がりとなった。
しかしながらスタッフらと一丸となり尽力する事により売上こそ対前年15%減となるも9月末までの第45期決算ではなんとか黒字で着地させる事が出来た。お客様に感謝、取引先、スタッフらに感謝である。
ここにきてコロナ第三波がやってきてまだまだビジネスには悪影響だらけだが、如何なる場合も乗り越えていく自信はある。
なせばなる〜
長女マイが働く旅行代理店もモロにコロナにやられて大変のようであった。又、就活の次女サクもきっと思うようにいかず最終的に来春より地元銀行に進む事を決めた。これで皆んな一人前の社会人となるのだ。
そんなマイサク2人に結婚25周年記念日の夜に東山のフレンチで祝ってもらったのは感慨深いものがあった。
そうそう11月頭に久しぶりに久米島釣り旅へ出向いた。狙いのキハダマグロはキメジサイズしか釣れなかったが、最高に楽しく身体に溜まった膿を出してこれた。
クレジットカードを昨年よりAMEXに切り替えた事により、毎年ANAカードに40000マイル移行する事が出来るようになりこれから年に2回は沖縄往復旅券が手に入るようになったのだ。
これを少しずつ書き進めている先週末、オヤジの病院にオフクロと家族で書いた手紙を届けたところ、オヤジから携帯に連絡が入りびっくりした。きっと看護師さんが手伝ってくれたのであろう。最初は僕と亡きアキラおじちゃんが被っている様だったが、僕は建哉だと伝えるとすぐわかったようで手紙も確かに受け取ったと話した。オフクロに連絡を入れてほしいと伝えると自宅マンションの電話番号を忘れてしまったとの事で、オフクロからかけ直すと伝えてオフクロに連絡してもらった。
長い入院生活で現実の世界がボンヤリしている感じ、しかしこれは少しずつ話す事により回復すると信じたい。
最後に今年もあっという間に一年が過ぎたが自分としては自分なりに一生懸命生きてきたと思っている。
決して気持ちに余裕のある日々など送れなかったが、息を抜くための手段を自然に考え上手く切り替えて歩んできた。
夜になると乱視で遠くが見えず、そして老眼で近くも見えなくなってきたが、これまでの経験により適切なところに手を伸ばし物を掴めている。
新しい一年、常に謙虚に驕ることなく自分を信じて真っ直ぐに歩んでいきたい。
全ての物事に感謝感謝!
TACK
52才の年の瀬にて