【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

マイサクおめでとう!

2025年01月26日 | 徒然日記
マイサクお誕生日おめでとう!

Time and tide wait for no man…

28歳と26歳。月半ばのソウル旅行は楽しかったですね。毎年一度くらいはあんな家族旅行が出来たら良いですね。

今を大切に!益々楽しい人生を組み立てていって下さい。

そしていつまでも2人仲良くして下さい。






時差ボケのパパより


ポルトガル&イタリア放浪2025新春 『 思えば遠くに来たもんだ〜2025 』

2025年01月21日 | 旅三昧!釣り三昧!
ポルトガル&イタリア放浪2025新春 『 思えば遠くに来たもんだ〜2025   』

ソウルでの家族食い倒れ旅の後、僕は仁川空港からフランクフルト経由ミラノまでの飛行機に乗り込んだ。

今回は20年以上ぶりにリスボン、更には生まれて初めてとなるポルトへ出向きポルトガルジュエリーと出会えないか、そしてイタリアでは4月に向けた仕掛けを”VICENZA ORO”にて組み立てるという大きな目標がある。

しかし昨年11月頭までメールにてコレポンのやりとりしていたリスボンにあるかつての仕入元TORRES 社オーナーのリカルド氏から突然全く返信がなくなり、何かあったのではないかと心配している次第。いずれにせよリスボンに着いたら先ずはアドレスを頼り彼の店へ顔を出そうと思っている。

仁川からフランクフルト、フランクフルトからミラノへ乗り継ぎマルペンサ空港に到着したのは22時すぎであった。残念乍、ルフトハンザ航空は未だに二階建てエンジン4発の所謂ジャンボ機を使用しており、つまりビジネスクラスも最近の個室の様な席とは異なり、隣の人が近かった。まぁ脚が伸ばせフルフラットになる事を考えれば文句を言うことすら憚れるのだ。

翌朝からリスボン移動という事もあり今回マルペンサ空港近郊のホテルに宿泊したのだがリーズナブルで空港アクセスには大変便利だった。 “HOTEL VILLA MALPENSA” 




マルペンサ空港近郊の朝は−3℃とキリッとした空気であった。しかし先に滞在したソウルと比べると大した事はない。

リスボンへの飛行機の窓からは真白に連なるアルプスが美しかった。リスボンの気温は11℃とのアナウンスである。




今回のリスボンでの仕事は上に記した通りだが、僕は今から32年前、トロント留学からの帰国時に地球を逆に回ってリスボン入りし親父と落ち合ったのがアリカとしての最初の海外出張だった事もありこの地に他にはない思い入れがある。そしてその際に街を散策し見つけた大きな丸い鉄板で煮込んだ豚肉を挟んだハンバーガーにマスタードを塗りカウンターで立ち食いした記憶がなぜか忘れられず、今回その店をもう一度見つける事が出来ないかと内心思っているのだ。

機内でそんな事をぼんやり考えながら、ふと窓の外を眺めると飛行機は赤褐色のイベリア半島上空を跳んでいた。

思えば遠くに来たもんだ…

リスボンでは結局残念乍、リカルド氏とは会えなかったが、懐かしい街並みを眺めながら昔を思い出すことが出来た。そして煮込み豚のハンバーガーもなんと見つける事が出来、この上ない満足であった。亡き親父と滞在したホテルの場所をぼんやり思い出しテクテクとそこまで歩くとそのホテルアルティスはまだ健在であった。








翌日、ポルトに飛んだ。着いた日はホテルでもらった折りたたみ地図を片手に街を思いつくまま歩いた。ポルトの街はアズレージョ(タイル)が街のあちこちの建築物に嵌めこまれており大変美しい。世界遺産の旧市街は観光客が多すぎるわけでもなくとても歩きやすい。道端でギターを片手に演奏する人の哀愁が漂っている。ここポルトは大航海時代の英雄であるエンリケ航海王子の出生地でもある。この日はこの地にて4月催事のギブアウェイを探求しようと思っていたのだが、お洒落なデザインの石鹸、缶詰、そしてタイルが選択肢となった。












そして最終的にポルトガルのクラシカルなタイルをコルク板に嵌め込んでもらいティーポット置きや鍋敷きを作ってもらう事にした。タイルの柄は個人的にモダンでカラフルな物よりクラシカルな青色と黄色の物を10種類各10枚選んだ。

ポルトにはトリパスと呼ばれる名物料理が有名らしく、これは色んな香辛料を用いたモツ煮込みを白ごはんにかけて食するものである。コレがなかなか美味かった。




街には綺麗に改装された市場があり、肉や魚や野菜から果物や花に至るまで売っていた。魚は余り見た事のない魚が多かった。

その翌朝、ポルト駅より列車で45分ほどでブラガ駅へ。そこからUBERタクシーで更に30分ほど山間を抜けてポルトガル伝統工芸ジュエリー工房がある村へ出向いた。この辺りは日本人は1人も居そうにない。聞けばブラガには日本人が1人いるらしい。

商談を終わらせてまたポルトへ戻る。ポルトにも煮込み豚ハンバーガーを売っている店を見つけ入ったが、リスボンのそれとは異なり個人的にはリスボンの方が3段上であった。

この時期のヨーロッパは朝7時でもまだ暗く、日の出は恐らく8時頃かもしれない。僕はポルトよりベネチアへ飛んだ。

慣れ親しんだイタリアに戻ると気持ちが軽くなる。この日から3日間、PADOVAの常宿に滞在しVICENZAにて開催されている国際宝飾展で働いた。

今春に予定しているアリカコレクション2025京都には創業50周年という事で30年の付き合いとなるGIMOR社からアンドレアの来日が決まった。本当はアントニオの来日を期待したいのだがここ半年でかなり痩せており、聞けば昨年に心臓に9箇所もステントを入れたとの事。皆んな歳をとっていく。又、来月来日のロレンツォも今年5月に晴れて結婚するとの喜ばしいニュースを本人より耳にした。

今回初めてVICENZA OROに出展したChaiyan とそのスタッフらが近郊のホテルに滞在しており、1人の僕を思い2日間も晩めしに誘ってくれる。感謝

旅の最終地であるMILANではかつて常宿として恐らく200泊はしたであろうホテルドゥカディヨークへ6年ぶりに荷を解いた。かつてミラノに来るたびにこのホテルに泊まりここで働くスタッフらとは皆んな顔馴染みだったのだがこの6年で皆んな居なくなり、そしてホテルの価格も2倍以上になった。物価上昇と円安のせいである。




久しぶりにドゥオモ広場からモンテナポレオーネ通りを歩いた。かつて本当に美味くてよく通ったペパームーンもブルーノももう今は存在しない。






また新しいリストランテを探さないとなぁ…

長かったヨーロッパ出張も自分なりに上手く組み立てれたと思う。あとは帰国してからまた気合いを入れて進むだけである。

ポルトガル&イタリア万歳!





ソウル放浪2025厳寒 『 冷凍庫の中にいる感じ〜 家族食い倒れ紀行 』

2025年01月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
この冬1番の寒波が日本を襲った早朝、僕は韓国からポルトガルとイタリアを巡る旅のスーツケースをゴロゴロと関空に向かった。今回の旅は少し長い日程となるのでクルマではなく久しぶりに電車で関空に向かった。

そもそも来週からのヨーロッパ出張のフライトを探す際にあまりに仁川からヨーロッパへのフライトが安い事に気づき、日本韓国間はフライトも多く5万円もあれば往復出来るのでそのルフトハンザを抑えたのだが、それを話すと嫁も韓国に行こうかなと言い出しそれであればとマイサクにも声を掛けて、マイ夫婦とサクとの5人での連休ソウル旅となったのである。

しかしかつては日本からのフライトが最も多く最も安かった海外渡航も、今や仁川空港や台北空港がアジアのハブとなっている。日本はどんどん弱体化していく。

今回の旅で現在のパスポートは最後となる。出国の際に毎回スタンプを貰うように心掛けているのだが、それによるとこのパスポートでは38回目の出国のようだ。ここ10年はコロナ禍もありいつもより少ない。

今回は家族全員異なるフライトでソウル入りとなる。嫁と成田からの次女サクは既に前日から出国しており、僕が関空から飛び立つ同じゲート17から1つ早いフライトで長女マイ夫婦がソウルに向かったのだが、ちょうど僕がゲートに着いた時にマイらの飛行機が同じゲートから出ていくところであった。

しかし如何に韓国が女性に人気なのか、僕の乗るアシアナフライトは10:1で若い女性が多かった。

仁川空港から空港列車にて孔徳駅にある滞在ホテルへ。部屋に荷物を放り込み弘大入口駅へ向かいそこで家族と待ち合わせた。




マンウォン市場にてキンパを歩き摘む。






しかし寒い。寒すぎる。




夕食のヤンニョムチキンを食べた後、耳を隠せる特攻隊帽子とセーターを購入。どちらも帰れば雑魚釣り用となろう。




翌朝はカンジャン市場にて朝メシキンパ、おでんのスープが驚く程美味かった。




その後、ブラブラしながら今回どうしてもと皆んなが食べたがっていたサムギョプサルのミシュラン常連店である『金豚食堂』へ。




ここは毎年のように評価されているだけあり本当に美味かった。開店の際、既に予約待ちが47組らしく、早めに行って予約しておいて正解であった。

その後、この日も買い物に行く皆んなと別れて僕は『南山タワー』を目指した。ちょうど明洞駅の側からケーブルカーが出ているようでそれに乗り山頂へ。上からぐるりとソウルの街並みが見てとれた。天気が良くてよかった。タワーに登るのは割愛しまたケーブルカーを用い下へ、そこから明洞駅まで歩き地下鉄を乗り継ぎ『景福宮』へ。








しかしソウルは家族に教えてもらったアプリがあれば本当に地下鉄移動に便利である。

単身観光の後、家族の買い物に合流しそこからトムクルーズが来たというプルコギで有名なミシュラン店で晩飯を食った。個人的にはユッケビビンバが最高に美味かった。






最終日、朝イチに娘婿ヤス君と2人でスンドゥブを食べに行ったのだがコレが◎!結局、この夜も1人で同じ店を訪れた。




午前中、娘らの買い物に付き合った後、先に3人を送り出し嫁と2人で嫁オススメのソルロンタンの店へ。ココもソウルでは指折りらしく確かに美味かった。




皆んなが空港へ向かい1人になった後、ソウル駅から南大門市場界隈をブラブラと歩いた。やはり南大門市場は個人的に1番面白く活気があった。




家族を送り出し独りでホテルに戻るとかなりの寂寞感が内心あったのだが、僕はコレからヨーロッパでカツンと働かないといけないという使命を思い起こし気持ちをリセットさせた。

激辛の袋麺を5個求めて嫁に持ち帰ってもらった。しかし楽しい家族旅行であった。また行きたいと思う。






ソウル万歳!





ゆっくり寛いだ正月休暇2025

2025年01月04日 | 徒然日記
2025年元旦、あろうことか長女マイがインフルエンザ発症となり例年元旦に初詣で訪れる伏見稲荷を2日に変更し家族3人で出向いた。




また元旦の日は施設のオフクロを訪ね、北野天満宮に少し顔を出してきた。

その後、正月休みの2日間を雑魚釣り基地に単身出向いたのだが海が大荒れでとてもじゃないが釣りにならない。

仕方がないので海のそばで寛ごうと気持ちを一新した。

歩いて近くの長生きの湯に行き露天風呂を楽しんだ。身体がスベスベになる。

その後、雑魚釣り基地に戻り備長炭を起こして干物やら野菜やソーセージを焼いた。美味!




前からある電気ストーブを点ける。




電気ストーブ…

電気ストーブの昔の思い出は、学習机の足元に入れて温まりながら勉強した記憶である。

横向きに2列並んだ電線がある電気ストーブで2段階の強弱がスイッチで選べるものであった。万一倒れると電源が自動的に切れる仕組みになっていた。

靴下の足をかざし続けると熱くなりすぎて焦げて火傷しそうになったりした。

電気ストーブは部屋全体を暖かくしてくれるには力不足だが、ストーブの真ん前では力強く暖を取れるアイテムなのである。

この正月もTV番組は面白くないので基地でもスマホでYouTubeを観て過ごす。

翌朝、起きて海を見るもムリくさい…

ふるさと納税でゲトした炊飯器で米を炊く。炊き立ての米が大変美味い。最新の炊飯器はエライ!

そして今月20年ぶりに訪れるポルトガルの為のガイドブックを求めに田辺市街へ。




今日はビールを飲みながらコレをゆっくり読もうと思う。最後に訪れたのが36歳の頃、街を歩くと何かを思い出す事が出来るであろうか。また今回はリスボンに1日、初めて訪れるポルトに2日間のスケジュールを取っている。

そうそう年末に雑魚釣り基地のガスコンロを新調したのでコンロ周りが綺麗になった。




この夜は冷蔵庫にある牛肉とピーマンをニンニクと一緒に炒めた。

明日になるとようやく海も収まり釣り日和になるようだが、僕は嫁実家への年始挨拶ランチ会の為に明朝基地を後にするのであった。

次は2月頭の雑魚釣り釣行に期待したい〜🎣