新・臨床検査の光と影

人の命を測る臨床検査に光を!

人体実験・肥満からの脱出・7

2006-12-16 18:09:05 | 健康・病気

 長続きのコツは、リズムとマイペース

 水泳は帽子とゴーグルとパンツ以外、使う道具は一切いりません。

 屋内プールでは、天気に左右されることもありません。

 雪の降る日のプールなどは、ことのほか極楽気分が味わえます。

 浮力によって足や腰に体重がかかりません。

 体重60キロの人は、30分の1の、たったの2キロにしかなりませんから、とんぼ返りも、逆立ちも、水中イナバウアーなど、年齢に関係なく、空中遊泳みたいなもので、だれでも癇単にできます。

 普段使ったことのない関節や筋肉を、自由に動かすことになります。

 でも、無理して泳ごうとする必要はありません。水中歩行だけでも健康にいい効果が得られます。

 水中では、水圧によって、自然に腹式呼吸になります。

 胸式呼吸と比べて、生理的には理想的な健康呼吸法といわれています。

 腹式呼吸法は、脳に有用なアルファー波が発生して、リラックスするためにも、有効な呼吸法です。

 また水温29℃あたりは、体温との差も程よい刺激になり、厚着でコタツにはまっているより、ズーット健康的です。

 最初は5メートルでも10メートルでも結構、それ以上泳げる方は、ゆっくり、ゆっくり、少しでも長く泳いで、けっして無理をしないこと。

 呼吸法がつかめれば、いくらでも泳げるようになります。

 あとはリズムとテンポ、お隣のコースと、けっして競争などしないこと。

 女優の吉永小百合さんは、1回に3,000メートル泳ぐそうです。

 「夢千代日記」の芸者夢千代とは、似ても似つかない、それは肩から両腕にかけての筋肉は見事なものです。

 4年前、北アルプスの白馬岳から白馬鑓温泉小屋へ、海抜2,100メートルの、天空の露天風呂に浸かり、そこからいよいよ下山、50歳代とみられる夫婦連れと一緒に下り始めました。

 最初のうちは会話も弾んでいたのですが、だんだんテンポも合わなくなってきて、徐々に遅れはじめんました。

 彼等はどこまで行っても休憩しようともしません。

 とうとう「負けるものか」になっていました。

 猿倉山荘に着く頃は、離れ離れに、アルバイトのお姉さんに「どうしたんですか!」と声を掛けられて、やっと我にかえりました。

 大量の汗で、川に転落したようなずぶ濡れ状態、乾いたシャツの端には、塩の結晶が縞状に浮き出ていました。

 そして完全な脱水症状が現われてきました。

 そこから車で、その日のうちに帰宅はしましたが、よくぞ無事で帰れたものよと、自分ながら呆れ返りました。

 自分のリズムとマイペースを守らないと、楽しく長続きすることは絶対にできないことを悟りました。 

 

 


人体実験・肥満からの脱出・6

2006-12-13 07:53:16 | 健康・病気

Photo_14 水泳・「貯金」より「貯筋」?

 スポーツや運動のなかで、けっして水泳が一番いい、とは思ってはいません。

 しかし、なぜ15年間も続けてこられたか、その理由のいくつかを挙げてみます。

 小学生の頃は、もっぱら利根川で泳いでいました。

 川幅は今の10倍くらいあって、流れも速く危険のともなう川遊びで、溺死者も何人かみました。

 あこがれは、プールで泳ぐことでした。

 僅かな小遣いの1円硬貨を握り締めて、1時間以上もかけて、一人チンチン電車に乗って、20キロ先の高崎城南プールで泳ぐ、子供心に、今で云うところの「リッチ」な気分に浸るのが夏休みの楽しみでした。

 スカンジナビナ3国やシンガポール、マレーシヤ、タイ、マラッカ海峡でも泳ぎました。

 もって行くものは、水泳キャップと、ゴーグルと、水泳パンツだけですみます。

 15年間続けられたのには、いろいろありますがズバリ、それは、ほんとうに些細なことでした。

 こうして毎日泳いだ距離を記録してみようか。

 1年たったら、何キロになるだろうか。

 これをJRの鉄道距離にしたら、どこからどこまで泳いだことになるだろうか?

 記録をしていて、なにか、貯金をしているような楽しい気分になりました。

 1回1300メートル×年間130日×15年間=2,535キロメートルになりました。

 JRの鉄路をプールのコースに見立てて、最北端の稚内駅をスタートして一路南下、九州は長崎あたりまで、なんだ、それっきりか?

  ちなみに、プールの会員費は、1ヶ月・8,400円、15年間で150万円ほどにはなります。

 煙草と縁が切れ、晩酌の必要もないことを考えれば、安いのかなとも思います。

 そんなわけで貯金はできなかったけれど、「貯筋」ができました。

 人間の体を構成している骨は、大小およそ220ケくらい、その一つ一つを引っ張って、グズグズになるのを抑えて、正しい姿勢を保ち、体を動かす原動力は、骨につながっている一つ一つの「筋肉」そのものです。

 その筋肉に必要な燃料はブドウ糖、血中のブドウ糖が減ってくれば、貯まっている脂肪をブドウ糖に変えて、それで余分な脂肪が減って、使う筋肉が増えることになります。

 ブドウ糖を燃やすに必要な酸素、胸囲が増えると同時に、加齢とともに減少する肺活量も、どうにか現状維持を保って、酸素の供給も支障ないようです。

 その結果、94センチの胸囲が104センチに、96のウエストが84センチに、それだけ体脂肪が減って「貯筋」ができたのではないでしょうか。

 

 


人体実験・肥満からの脱出・5

2006-12-11 20:04:36 | 健康・病気

 運動と食事の関係Photo_13

 リタイヤした60才 から水泳を始めて、最初の6ヶ月で7キロの減量はできたものの、それからの10年間、全く体重の増減がありませんでした。

 ほぼ毎週の月水金、1200~1500メートル、食事の制限については、肉から魚へ転換、土地柄、新鮮な野菜は豊富に、間食もほとんどしませんで、ご飯中心とは言うものの、めし茶碗に軽く一杯で、お替りもめったにしません。

 氾濫する、痩せるためのサプリメントなどには、一切見向きもしません。

 3キロと4キロのダンベル以外、派手な宣伝の健康器具なども、全く使いませんでした。

 もう少し、あと5キロくらい体重を落としたい、と水泳距離をのばして頑張っても、びくとも動かないことが不思議で、なぜだろうかと考えました。

 そして得た結論は、ワンパターンの毎日ではあるけれど、この食事とこの運動量で、体重が±ゼロの均衡を保っているのだと思いました。

 逆に言えば、食べたいだけ食べて、運動もしないで、コタツに入って寝転んで、お茶菓子食べながら、テレビを見ている、てな暮らしを続けていたら、そのパターンに見合った体重になる、なにしろ80キロになった過去があるのだから、と思いました。 

 しかし、どなたにも水泳がいいとは、勧めません。

 たまたま、近くにスイミング・スクールがオープンしたことで水泳を選んで、通っているうちに、体にいろいろと面白い変化が現れて、そのことに興味がでてきて、今日まで続けてこられた、ただそれだけのことです。

 いろいろ試みて、自分に見合ったスポーツや運動を探し出すことから始めることではないでしょうか。

 もう一つ、どんなスポーツや運動でも、長続きできること、これが一番大事なことに気がつきました。

 


人体実験・肥満からの脱出・4

2006-12-07 15:10:48 | 健康・病気

 80キロ⇒73キロ

 水泳を続けて3ヶ月ほどたって、やや、あきらめかけていた体重に変化がでてきました。

 水泳以外、特別にやせる為のサプリメントを使ったり、食事の制限もしません。

 ゴルフやジョギングもしていませんで、ただひたすらに、泳ぎ続けました。

 そうして6ヵ月後、80キロの体重が、73キロに、半年で7キロの減量です。

 どこが減ったか、それは腹のまわりでした。明らかにクビレができてきました。

 どんな泳ぎ方かといいますと、準備運動、首から手や腕、腹筋や背筋、足など、それぞれ4種類を20回いづつ、およそ7=8分間。

 それから、水温29度Cのプールへ、クロールで600メートル~800メートル。

 800メートルを、休まず18分30秒~19分かけての泳ぎです。

 比べる相手もどうかと思いますが、ちなみに800メートル競泳世界記録は、グラン・ハケット(豪・2002年)7分38秒。

 およそ3倍近い時間をかけて、「溺れてるっ!」なんて云われない程度に、ゆっくりしたペースで泳いでいます。

 あとは、平泳ぎ、背泳、Lのパドルを使って200メートルなど、合計で1300~1500メートル泳ぐことにしています。

 公開した水着姿の写真に至るまでは、まだまだ先のことでした。

 このブログを見た同級生から「露出狂じゃねーのっ」と云われるし、長女からは、「75歳で裸の写真をブログにアップするのは、お父さんくらいじゃないの」と冷やかされました。

 WHOが定めた理想的なBMI=22付近は、こんな体型と云いたかっただけです。

 それからと言うもの、困ったことに10年間、73キロの体重は、いくら泳いでも、1キロたりとも変動がありませんでした。

 

 


深大寺にて、同級会と供養

2006-12-04 10:06:22 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc01482 Photo_11    関東の名刹・深大寺にて、高校時代の物故者の供養をかねて、一度も休まず30年以上続いている同級会を、師走2日、開催しました。

 参加者32名、物故者53名。

 供養は、谷玄昭大僧正を筆頭に、5名の僧侶によって厳かに行われました。

 谷玄昭大僧正は、戦時中、群馬県渋川(町)市に疎開、真光寺に寄留、県立渋川中学校、同高等学校に転校、その時以来の、吾等が誇る同級生の一人です。

 同市の真光寺にて得度、いまでは天台声明の最高責任者として、世界的にも活躍されています。

 平成16年には、天台座主猊下より直接「戸津説法者」に指名されました。

 戸津説法とは、千二百年前に宗祖伝教大師が、供養と法華経の説法のため、琵琶湖畔の東南寺にて、30日間の説法を行って以来、毎年8月21日より、(現在では5日間)、連綿と今に至っている天台宗最大の年中行事の一つであります。

  戸津説法師に指名されたことは、同時に、天台座主の候補者の一人とされたことを意味します。

 戸津説法の折には、同級生11名と東南寺へ駆けつけて、谷君の凛々しくも柔和な説法の姿に接し、終わって天台座主のお邸にて、感激の特別ご接待を受けました。

 これからは、気安く会えないこともあると予想して、谷大僧正を囲んで、深大寺の日本料理亭で、異例の同級会とあいなったわけです。 

 供養の行われた深大寺界隈は、土曜日ということもあって、境内はもちろん、名代の蕎麦屋さんも、大変な賑わいでしたが、池に映る紅葉は最高の美しさでした。