前回の続きみたいなはなしです。
タカ長は昭和41年1月に結婚しました。翌年の1月に長女が生まれ、その翌年の12月に次女に恵まれました。
20代でパパママになった新米夫婦(だれもが同じですが、、、、、、、、)ですが、子育てに関しては時に厳しいパパママでした。
誰から言われたわけではありませんが、子育てに向き合う気持ちにはブレガありませんでした。可愛がるだけではダメ、時には体罰アリでした。具体的なことは書きませんが、今だったら誰かに通報されることになったかもありません。
それが「親としての自覚」なのかどうか分かりませんが、山ばかり歩いていた二人が結婚してすぐにそのような自覚が生まれたのが不思議に思えるのです。
それ以上に不思議なのは、子育てする私たち夫婦の気持ちが「完全な一枚岩」だったことです。
日常生活においてはお互いがわがままを言って、口喧嘩することは普通にありましたが、こと子育てに関しては完全な一枚岩。これだけは今考えても不思議に思えるのです。
育児方針が合わなくて夫婦喧嘩が絶えない、と言うはなしはよく聞きましたし、育児方針の違いが離婚の原因になることも聞いたことがあります。
しかし、タカ長たちは「一枚岩」でした。子どもたちが成長した後に聞いたことですが、その一枚岩を破るための「対策会議」みたいなことをしていたようです。
そのような子育てをしたため、子どもたちはグレることもなく成長しました。そう考えていました。
タカ長も歳を取り、そのような考えは思い上がりであることが分かってきました。人と言うものは親だけではなく、多くの人のお世話になり、神や仏様に見守られて、またご先祖様にも助けられて成長しているのだと言うような気持ちになりました。
しかし、人がこのように生まれてきて最初にかかわるのはその人の親であることは間違いありません。
山ばかり歩いていた二人が結婚し、早々子どもに恵まれ、その子どもたちを人なみに育てることが出来たのですから、これほど不思議なことはないように思えるのです。
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