昨日の祈祷会で学んだところです。
考えさせられる内容です。
「イエス・キリストの受難」 ジョン・パイパー著
イエス・キリストが十字架で死んだのは・・・
32課
「私たちが自分のためにではなく、キリストのために生きる者となるため」
引用となる聖書箇所 コリントⅡ 5:15
「キリストがすべての人のために死なれたのは、
生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」
昨日も著書の本文から、3つのポイントを挙げて学びました。
罪の本質とは?
キリストの死は崇められるためだったのか?
キリストのために生きるとは?
どれも大切な視点ですが、ここでは特にを取り上げたいと思います。
今回のメインのポイントです。
「キリストのために生きる」ということについて。
私たちは・・・
「キリストのために生きる」ということは教会の活動や運営に貢献することだ
と考えます。
確かに、それは完全な間違いではありません。
そのような要素もあります。
しかし、それは「キリストのために生きる」ことの中心ではありません
神様は私たちの助けがなくても、ご自分ですべてのことを行うことのできる方です。
「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。」(使徒17:25)
むしろ、「キリストのために生きる」とは・・・
「・・・私たちがキリストを限りなく価値ある方として見、味わう・・・」ことを意味します。(p133 l15)
そこから生まれる喜びや感謝が、行動に反映されていくということです。
行動(形)から入ると、本末転倒です。
私たちの関心を主イエスを見ることに集中させたいものです。
そうする時、私たちの心は満たされ、本当の幸いな人生を経験することになります。
考えさせられる内容です。
「イエス・キリストの受難」 ジョン・パイパー著
イエス・キリストが十字架で死んだのは・・・
32課
「私たちが自分のためにではなく、キリストのために生きる者となるため」
引用となる聖書箇所 コリントⅡ 5:15
「キリストがすべての人のために死なれたのは、
生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」
昨日も著書の本文から、3つのポイントを挙げて学びました。
罪の本質とは?
キリストの死は崇められるためだったのか?
キリストのために生きるとは?
どれも大切な視点ですが、ここでは特にを取り上げたいと思います。
今回のメインのポイントです。
「キリストのために生きる」ということについて。
私たちは・・・
「キリストのために生きる」ということは教会の活動や運営に貢献することだ
と考えます。
確かに、それは完全な間違いではありません。
そのような要素もあります。
しかし、それは「キリストのために生きる」ことの中心ではありません
神様は私たちの助けがなくても、ご自分ですべてのことを行うことのできる方です。
「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。」(使徒17:25)
むしろ、「キリストのために生きる」とは・・・
「・・・私たちがキリストを限りなく価値ある方として見、味わう・・・」ことを意味します。(p133 l15)
そこから生まれる喜びや感謝が、行動に反映されていくということです。
行動(形)から入ると、本末転倒です。
私たちの関心を主イエスを見ることに集中させたいものです。
そうする時、私たちの心は満たされ、本当の幸いな人生を経験することになります。