先日、ふと思いついたことをネット検索していたら、以前お世話になった先生の論文をたまたま見つけました。
私にとって、内容も興味深く、わかりやすい翻訳で読みやすかったので、その場で早速読んでみました。
『現代神学の概観』 デイル・W・リトル 著 北野 献慈 訳
この論文の結論部分では、このように述べられています。
「神学は聖書と文化という二つの極の間で機能している。福音主義神学者にとって、啓示の極である聖書はいつも強調されなければならないものだ。同じことが、福音派の牧師や宣教師についても言える。なぜなら神学者だけが『神学をする』のではないからだ。 牧師が聖書を教え、またこの世での信仰者の生活について教えているということは、 彼らもまた神学をしているということだ。(中略)そして良いバランスを持っている人は、聖書を究極の権威とする人である。」
私に与えられている務めのためにも、「神学をする」ことにおいて良いバランスを持ちたい、と願いを新たにさせられました。
そうは言うものの、この時代にあって、良いバランスを保つことは、なかなか困難な課題です。
祈りとともに、神のことば、聖書への地道な取り組みを大切にしていきたいと思います。
私にとって、内容も興味深く、わかりやすい翻訳で読みやすかったので、その場で早速読んでみました。
『現代神学の概観』 デイル・W・リトル 著 北野 献慈 訳
この論文の結論部分では、このように述べられています。
「神学は聖書と文化という二つの極の間で機能している。福音主義神学者にとって、啓示の極である聖書はいつも強調されなければならないものだ。同じことが、福音派の牧師や宣教師についても言える。なぜなら神学者だけが『神学をする』のではないからだ。 牧師が聖書を教え、またこの世での信仰者の生活について教えているということは、 彼らもまた神学をしているということだ。(中略)そして良いバランスを持っている人は、聖書を究極の権威とする人である。」
私に与えられている務めのためにも、「神学をする」ことにおいて良いバランスを持ちたい、と願いを新たにさせられました。
そうは言うものの、この時代にあって、良いバランスを保つことは、なかなか困難な課題です。
祈りとともに、神のことば、聖書への地道な取り組みを大切にしていきたいと思います。