マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

苦しみを通して

2008-06-04 18:55:34 | 神学校・講座
今日明日は、特別講義のため通常の講義はお休みです。
そのため・・・今日は先にできる課題などを進めました
明日は、ふらっと特別講義に出席してみようかなと迷っています。

800字のメッセージは、おそらくみなさんの想像以上に時間がかかっています
最近は・・・日本語をもう一度勉強した方がいいかな思うほどですね

さて、前回に続く2回目の部分を掲載してみます。
テサロニケⅠ 2:1-12
「苦しみを通して」

パウロは、くり返して「あなたがたが知っているとおり」と呼びかけている(2:1,2,5,9,11)。
そうすることで、テサロニケの教会の人々に自らの苦難と宣教について思い起こさせようと努めているのである。
今や伝えられた福音ばかりか、苦難も同じように受けているテサロニケの教会。
そのような彼らに、パウロは宣教に対する自分自身の心と態度を伝えた。
自らの姿を通して、困難の中でもなお福音に留まり続けるようにと励ましているようだ。

彼は、ピリピでの迫害とその後のテサロニケでの宣教という経緯に触れる。
そして、それは「無駄ではなかった」(1)とし、「神による大胆さが伴う宣教」だったともしている(2)。
彼には、迷いや不純な動機、騙そうという意図はなかった(3)。
ただ「神に認められて福音を委ねられた者」として「神を喜ばせよう」としていることを彼は証ししている(4)。
それを踏まえて、彼の宣教の態度は、へつらうこと、むさぼりの口実を設けることや使徒としての権威を主張することを放棄していた(5,6)。
むしろ、母親が子供にするように、優しくすべてを与えるような態度であった(7,8)。
実際、彼自身の必要のためには他者に負担をかけないようにと、昼夜を問わず働いた(9)。
そして、神にふさわしい生き方をするようにと、父親のような威厳をもって教え励ました(11,12)。
福音は、そのように労苦し、自らのすべてを注ぎ込んでまで伝えるのにふさわしいものであった。
それこそ、依然として苦難の中にあるテサロニケの教会に、彼が思い起こさせたかったことであろう。

私たちにも福音が伝えられている。
この福音は、パウロのように誰かが労苦して伝えたものである。
今、私たちは問われている。
福音に伴う労苦に対して、どのような態度を取るのか?
先に福音を伝えた人々の姿を思い起こし、そこからも福音を再確認し、私たちも神を喜ばせることに心を用いる者となりたいものである。



苦労することから逃げてはいけませんね
せっかく与えられた学ぶ機会です。
福音を伝えるために役立てるように、これからも一生懸命、学びたいと思います
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