「やり直しのチャンスで次のステップへ」
■ 聖書箇所:創世記12:1-4
・アブラムに関する予備知識(11章後半)。
出生地:メソポタミヤのウル。
父テラとウルを出て、カナンに向かう。
アブラムの甥ロトも同行。
しかし、途中でカランで定住してしまう。
アブラムの妻はサライ。
二人の間に子供がなかった。
・主がアブラムに語られた場面。
「その後、主はアブラムに仰せられた。」(12:1)
創世記のこの箇所では、主がアブラムに語りかけたのはカランという場所だった。
しかし、聖書の他の箇所から総合すると、最初に主がアブラムに語りかけたのは彼の故郷ウルでのことだった。
もともと、主はアブラムに故郷ウルで「わたしの示す地へ行きなさい。」と語りかけた。
だが、アブラムはその主の命令に従うことに失敗していた。
彼は父テラとともに、カナンへの途中のカランに留まった。
恐らく、アブラムには父テラの存在がネックになっていたと考えられる。
テラは、聖書によると他の神々を信仰していた。
父テラは、主がアブラムに語られたことを気に留めなかったようだ。
そして、アブラムは、父を残して先に進むことができなかった。
父テラがなくなったことは彼にとって一つの転機となる可能性があった。
主はその時を見逃さず、アブラムに語りかけた。
そういう意味で、カランでの主の語りかけは、アブラムへのやり直しのチャンスということができるだろう。
主は、アブラムの決心できる時を待って、やり直しのチャンスを与えられた。
アブラムは、その与えられたチャンスを生かすことができた。
「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。」(12:4)
・約束
命令とともに語られた主の言葉の内容は、祝福を約束するものだった。
大きく分けて3つのポイントにまとめられる。
①アブラムの子孫を偉大な国民にする。
②アブラムを祝福する者を祝福し、呪う者を呪う。
③地上のすべての民族は、アブラムによって祝福される。
これらの約束を神様が誠実に守られたことは、その後の歴史が証明している。
この約束そのものが、人類の救い(贖い)の計画のアウトラインを示すものだった。
この救いが全世界に届くために神様の選ばれた人は、アブラムだった。
しかし、そのアブラムでさえ、最初のステップを一度踏み外していたと思うと、神様の懐の深さを認めずにはいられない。
主は選んだアブラムを早々に捨てないで、責任をもってアブラムを用いて計画を実行された。
このことを私たちに置き換えてみると、より一層、神様に親しみと尊敬を感じる。
主が私に語られた時には、喜んで耳を傾け、周囲の状況がどうであれ勇気をもって応答できる者でありたい。
仮に従うことができていない自分に気付いたら、自分の過ちを認めて、そこからもう一度やり直していく謙虚さを持っていたい。
主の恵みと憐れみをいっぱい受けながら、信仰者として日々成長していきたいと思う。
■ 聖書箇所:創世記12:1-4
・アブラムに関する予備知識(11章後半)。
出生地:メソポタミヤのウル。
父テラとウルを出て、カナンに向かう。
アブラムの甥ロトも同行。
しかし、途中でカランで定住してしまう。
アブラムの妻はサライ。
二人の間に子供がなかった。
・主がアブラムに語られた場面。
「その後、主はアブラムに仰せられた。」(12:1)
創世記のこの箇所では、主がアブラムに語りかけたのはカランという場所だった。
しかし、聖書の他の箇所から総合すると、最初に主がアブラムに語りかけたのは彼の故郷ウルでのことだった。
もともと、主はアブラムに故郷ウルで「わたしの示す地へ行きなさい。」と語りかけた。
だが、アブラムはその主の命令に従うことに失敗していた。
彼は父テラとともに、カナンへの途中のカランに留まった。
恐らく、アブラムには父テラの存在がネックになっていたと考えられる。
テラは、聖書によると他の神々を信仰していた。
父テラは、主がアブラムに語られたことを気に留めなかったようだ。
そして、アブラムは、父を残して先に進むことができなかった。
父テラがなくなったことは彼にとって一つの転機となる可能性があった。
主はその時を見逃さず、アブラムに語りかけた。
そういう意味で、カランでの主の語りかけは、アブラムへのやり直しのチャンスということができるだろう。
主は、アブラムの決心できる時を待って、やり直しのチャンスを与えられた。
アブラムは、その与えられたチャンスを生かすことができた。
「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。」(12:4)
・約束
命令とともに語られた主の言葉の内容は、祝福を約束するものだった。
大きく分けて3つのポイントにまとめられる。
①アブラムの子孫を偉大な国民にする。
②アブラムを祝福する者を祝福し、呪う者を呪う。
③地上のすべての民族は、アブラムによって祝福される。
これらの約束を神様が誠実に守られたことは、その後の歴史が証明している。
この約束そのものが、人類の救い(贖い)の計画のアウトラインを示すものだった。
この救いが全世界に届くために神様の選ばれた人は、アブラムだった。
しかし、そのアブラムでさえ、最初のステップを一度踏み外していたと思うと、神様の懐の深さを認めずにはいられない。
主は選んだアブラムを早々に捨てないで、責任をもってアブラムを用いて計画を実行された。
このことを私たちに置き換えてみると、より一層、神様に親しみと尊敬を感じる。
主が私に語られた時には、喜んで耳を傾け、周囲の状況がどうであれ勇気をもって応答できる者でありたい。
仮に従うことができていない自分に気付いたら、自分の過ちを認めて、そこからもう一度やり直していく謙虚さを持っていたい。
主の恵みと憐れみをいっぱい受けながら、信仰者として日々成長していきたいと思う。