「Making Peace」を訳しながら読んでいます。
ペースはゆっくりですが、少しずつでも先に進もうと時間を作っています。
前回の続きです。
文化的問題点
*文化混合主義
異質の、しばしば正反対の信条や実践を無批判のうちにつなぎ合わせてしまう。
たとえば、欧米文化の個人主義・自己実現と聖書的な共同体における他者への愛と奉仕は質的な違いがある。
*消費者中心主義
個人のニーズに焦点を絞り、それを満たすことで成り立つ関係。
「お客様は常に正しい」というマーケティングの視点。
↑確かに、これを牧会の方針に取り入れていたら、教会は混乱しますね
たとえ一時的に表面上の人数は増えても、本来の教会の姿とはかけ離れています
以下、本文(私訳)から抜粋。
教会は、神がご自分の民を形成する霊的な「場所」である。
私たちは、キリストに似た者へと変えられていく民として選ばれている。
私たちはあまりに個人主義的な思考と行動に慣れてしまっているので、対立や危機が起こるまで自分たちの自己中心や不敬虔に気付いて認めることがないが、それは問題である。
神は私たちを自己中心的な必要や鈍感な親密さや安易な受入よりも、はるかに優れた御国に召し入れてくださったのである。
聖書は、自分のことばかりに没頭する世の中の自己陶酔的で自律的な考え方に対して、全く立場を異にする。
神は、私たちの必要を満たす前に、その必要を作り直し、贖うことを望んでおられる。
神は私たちを十字架によって形成された文化へと招いているのである。
構造的問題点
私たちの決断や対立の状況に作用する内外の力の相互関係、システム、構造を理解する必要がある。
その上で、変革には従事する時間とプロセスへの服従が必要となる。
そのプロセスとは・・・
* 過去の過失を調査し、検証し告白する。
* 根本的な必要、原因、性格や振舞いや考え方の欠点を検証する。
* くり返して行われていた消極的な習慣を忘れる。
* 振舞いと考えの新しい習慣を学び直す。
* 個々の性格と教会文化を再構成する。
やっぱり、本質的な改善のためには時間と労苦が伴うものです。
そして、共に見直そうという意識がなければ、進まないものです
また、その教会のリーダーシップも多大な影響を与えます。
以下、本文(私訳)から抜粋。
もしそのリーダーが教師であるなら、講壇を中心に教会が建てあげられていく。
ひとり芝居は一つの主要なコミュニケーションの手段である。
人々は、詳しく説明する牧師の周りに座って、受身的に聞いているのである。
もしその牧師が伝道者ならば、教会は未信者をひきつけ救いへと導くことで建てあげられていく。
他の多くの場合、相互依存的なチームが形成される代わりに、リーダーはしばしば、たったひとりで働いている。
牧師がチームの形成に抵抗していることさえある。
なぜなら、ある分野で自分より秀でた他者によって脅威を感じてしまうからである。
こうした牧師たちがチームを集めると、牧師に何の脅威もない人々から成るものとする。
つまり、その人々は、みな似たような考えをし、牧師より才能のない者である。
だから、私たちの諸教会は、ひとりの人間の強さと弱さに直接比例して、成長もし、苦しみもするのである。
これらのリーダーは、自治体を作っているとしても、共同体を作っているのではない。
その教会は、容易に対立や個人崇拝に陥るようになる。
任された教会やグループを牧することの重大さを考えさせられます。
この本は、私にとって、教会や牧会について考えるための助けとなっています
ペースはゆっくりですが、少しずつでも先に進もうと時間を作っています。
前回の続きです。
文化的問題点
*文化混合主義
異質の、しばしば正反対の信条や実践を無批判のうちにつなぎ合わせてしまう。
たとえば、欧米文化の個人主義・自己実現と聖書的な共同体における他者への愛と奉仕は質的な違いがある。
*消費者中心主義
個人のニーズに焦点を絞り、それを満たすことで成り立つ関係。
「お客様は常に正しい」というマーケティングの視点。
↑確かに、これを牧会の方針に取り入れていたら、教会は混乱しますね
たとえ一時的に表面上の人数は増えても、本来の教会の姿とはかけ離れています
以下、本文(私訳)から抜粋。
教会は、神がご自分の民を形成する霊的な「場所」である。
私たちは、キリストに似た者へと変えられていく民として選ばれている。
私たちはあまりに個人主義的な思考と行動に慣れてしまっているので、対立や危機が起こるまで自分たちの自己中心や不敬虔に気付いて認めることがないが、それは問題である。
神は私たちを自己中心的な必要や鈍感な親密さや安易な受入よりも、はるかに優れた御国に召し入れてくださったのである。
聖書は、自分のことばかりに没頭する世の中の自己陶酔的で自律的な考え方に対して、全く立場を異にする。
神は、私たちの必要を満たす前に、その必要を作り直し、贖うことを望んでおられる。
神は私たちを十字架によって形成された文化へと招いているのである。
構造的問題点
私たちの決断や対立の状況に作用する内外の力の相互関係、システム、構造を理解する必要がある。
その上で、変革には従事する時間とプロセスへの服従が必要となる。
そのプロセスとは・・・
* 過去の過失を調査し、検証し告白する。
* 根本的な必要、原因、性格や振舞いや考え方の欠点を検証する。
* くり返して行われていた消極的な習慣を忘れる。
* 振舞いと考えの新しい習慣を学び直す。
* 個々の性格と教会文化を再構成する。
やっぱり、本質的な改善のためには時間と労苦が伴うものです。
そして、共に見直そうという意識がなければ、進まないものです
また、その教会のリーダーシップも多大な影響を与えます。
以下、本文(私訳)から抜粋。
もしそのリーダーが教師であるなら、講壇を中心に教会が建てあげられていく。
ひとり芝居は一つの主要なコミュニケーションの手段である。
人々は、詳しく説明する牧師の周りに座って、受身的に聞いているのである。
もしその牧師が伝道者ならば、教会は未信者をひきつけ救いへと導くことで建てあげられていく。
他の多くの場合、相互依存的なチームが形成される代わりに、リーダーはしばしば、たったひとりで働いている。
牧師がチームの形成に抵抗していることさえある。
なぜなら、ある分野で自分より秀でた他者によって脅威を感じてしまうからである。
こうした牧師たちがチームを集めると、牧師に何の脅威もない人々から成るものとする。
つまり、その人々は、みな似たような考えをし、牧師より才能のない者である。
だから、私たちの諸教会は、ひとりの人間の強さと弱さに直接比例して、成長もし、苦しみもするのである。
これらのリーダーは、自治体を作っているとしても、共同体を作っているのではない。
その教会は、容易に対立や個人崇拝に陥るようになる。
任された教会やグループを牧することの重大さを考えさせられます。
この本は、私にとって、教会や牧会について考えるための助けとなっています