マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

新しい歩み

2012-08-28 21:12:14 | 教会の風景
日曜日に3名の方々が洗礼を受けました。
新たな人生の一歩を踏み出す方々。
その場に立ち会う喜びと緊張感を味わいながら、洗礼式を見届けました。

「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」
(新約聖書 ローマ人への手紙6:4)


さて、8月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書の講解 民数記7:1-9:14)を掲載しておきます。

幕屋が完成したとき、イスラエルの族長は車と雄牛をささげた(7:2)。それらのささげ物は、幕屋の用具を運ぶレビ人の奉仕に役立てられた(7:5)。ただし、ケハテ族担当の用具は肩に負うものなので、ケハテ族にはあてがわれなかった(7:9)。この点を誤り、ダビデの時代には契約の箱の運搬を巡る悲劇が起きた(2サムエル6章)。族長は、一部族ずつ12日間に渡り、祭壇の聖別のためにもいけにえをささげた(7:10-88)。『聖別のために』、多くの家畜の血が流された。贖いの後、モーセは幕屋で神の御声を聞いた(7:89)。私たちを贖うキリストの死が、私たちを聖なる神に仕える者としている(ヘブル9:13,14)。
シナイの荒野で過越のいけにえがささげられた(9:5)。もともとは、エジプトへの主のさばき(初子の死)の巻き添えを免れるために、主がイスラエルに命じた(出エジプト記12章)。イスラエルにとって、過越の子羊の血はさばきを免れるしるし、過越の食事は奴隷の身分からの救出を記念する食卓である。旅路にあるとか汚れの状態にあるという理由で、この祭りを祝えなかった人には、一ヵ月後に同じ内容で祝うことが命じられた(9:10,11)。理由もなく祭りを疎かにする者は罪を負う(9:13)。『主の救いを記念する』ことの大切さを思う。私たちは、まことの過越の小羊なるイエスの贖いを覚え、喜びつつ聖餐に与る。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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