マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

生きる

2011-09-26 17:33:48 | 教会の風景
先週のスケジュールが少々立て込んでいました。
今日はゆったり過ごしています。
気温の変化もあるので、コンディションに気をつけて今週の予定に備えようと思います。


さて、月報に掲載した9月の礼拝説教(旧約講解)のあらすじをアップします。

レビ記17章は、いけにえをほふる場所の指定と犠牲となる動物の血の扱いについて述べている。シナイで授けられた律法において、いけにえをほふる場所が主の幕屋という一点に指定された(17:4)。こうして限定されることには、二つの目的が考えられる。まず積極的な面では、イスラエル人たちの受けているあらゆる恩恵が主からのものであることを深く心に留め、ふさわしい感謝と礼拝を主にささげるためである(17:5-6)。そして、もう一つの目的は、イスラエル人たちの信仰を偶像崇拝から守るためである(17:7)。神は、イスラエルの置かれてきたエジプトの環境も、その結果彼らの信仰が心もとない状態にあることもよくご存知であった。それゆえに、イスラエル人たちの信仰の保護のために、深刻な危機をもたらす材料を予め退けるようにとこの規定を授けられたのだろう。私たちは、『込められた真意』に親心のような神の配慮を見出す。

18章では、エジプトやカナンの風習を『まねてはいけない』と率直に戒めている。そして、「わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、それによって生きる。」(18:5)と命じている。神のことばにとどまることで実現する幸せを「生きる」と表現し、神を知らない周辺諸国の民の風習にならえば、結果的に自らを滅ぼすことになるという。新約聖書においても、主イエスがみことばに留まることを弟子たちに教え、留まる者にいのちと真の自由を約束なさった。レビ記のこの章では具体的に性や家族関係の乱れについて言及している。近親相姦、不倫、子供を犠牲とする祭儀、同性愛、獣姦などである。神が創造の初めに定めて祝福したところの、性と結婚のあり方、家族のあり方を大切にして、主の祝福に満ちた家庭、各々の人生が築き上げられていくことを願う。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

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