マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

文献探し

2017-05-05 00:33:24 | 神学校・講座
卒論のテーマを決めていくにあたり、これまで必要な文献を探してきました。
自分のテーマに合った適切な文献にたどり着くのは、なかなか難しいことです。
そのうえ、手に入れるとなると、さらに大変です。

私の場合は、かけられる費用も限られていますから、なるべく神学校の図書館の蔵書やデータを活用しています。
今日はいくらかまとまった時間を作ることができたので、図書館のデータを検索して一つめぼしい論文を見つけることができました。

そして、もう一つ、大きな助けとなる論文を手に入れることができました。
実は、去年の春まで日本で宣教師として働いていたご夫妻が再来日するにあたり、私の必要としている論文集を届けてくれました。
もしインターネットで注文して日本に取り寄せると、送料が本体よりも高くつくところでした。
本当にタイムリーで助かりました。
しかも、私たち夫婦のため、私の論文執筆のためにお祈りもしてくださいました。

こうして、祈ってくださる方々、助けてくださる方々の存在があってこその学びと奉仕の日々です。
主からの召しの確かさ、時にかなって与えられる協力者の存在は、私の献身と奉仕とを支える力です。

ちなみに、届けて頂いた論文に、早速、目を通しはじめました。



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少しずつ片付けて

2017-05-04 00:08:40 | 神学校・講座
連休中、少しずつ雑務が片付いてきました。
ようやく見通しがついて、いくらかスッキリ感。

何とか卒論のテーマの再検討にもたどり着きました。
土曜日の論文演習の時間に、もう一度ディスカッションの機会がありますので、それまでにもう少し考えておきたいところです。
寮の部屋の中で過ごした一日でした。


久しぶりに部屋の窓際のワイルドストロベリーの写真でも添えておきましょう。


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行き着くところ

2017-05-02 22:58:06 | 教会の風景
4月の間にほとんど手がつけられなかった課題や仕事にようやく着手。
目下、ゴールデンウィーク明けが提出期限の卒論のテーマの絞り込み、神学校親善ソフトボール大会の主催校としての準備、信徒総会の準備等があります。
その他にも、関わっておきながら、結局名前だけになっている役目もまだいくつかあるので、お役に立てず申し訳ないなぁという思いでいます。
多くの方々に助けられながら、理解して頂きながら、祈って頂きながら、一日一日を送っています。

そんなこんなの日々に格闘しているのですが、それだけに礼拝や祈りの時間は貴重です。
先日の礼拝も、神の御前に静まる幸いなひとときでした。
声と心を合わせての讃美歌や信仰告白。
聖書の朗読や説教、聖餐。
神に招かれて礼拝者のひとりに加えられる喜びを覚えました。




最後に先月の礼拝説教のあらすじを掲載しておきます。

2017年4月 礼拝説教のあらすじ 旧約聖書講解:士師記3章
 (3:1)『主が残しておかれた国民』と言われているように、主は意図的にカナンの先住民を追い払わなかった。それは、(2:20,21)からすると、イスラエルの不従順に対する御怒りのゆえであるし、(3:1)ではイスラエルを試すためとされている。「カナンでの戦いを知らない」世代にとって、カナンの定住生活は生まれながらの環境だ。主の民としての自覚を抱きにくかったのかもしれない。(3:2)「−−これはただイスラエルの次の世代の者、 これまで戦いを知らない者たちに、 戦いを教え、 知らせるためである−−」ここでの「戦い」は実際の戦闘も含むのだろうが、もっと根源的な、つまり信仰上の戦いも含んでのことだろう。諸国民の間にあって主に聞き従うか、が問われた。私たちも主のお許しになられた試練の中で、己の罪深さや弱さを思い知らされるものの、私たちと同じように試みを受けた主イエスに希望と慰めを見いだす(ヘブル2:18; 4:15)。
 イスラエルの歴史のある世代について、(3:12)「そうすると、イスラエル人はまた、【主】の目の前に悪を行った。」と伝えられている。「また〜悪を行った」という表現からは、人間の罪の根深い性質・本質を考えさせられる(3:12; 4:1; 10:6; 13:1)。旧新約聖書は一貫して人間の罪深さを述べている(詩篇14:1-3; ローマ7:18-20 等)。この場合の「悪を行った」とは、『主の目の前に』と言われている。そのとき、主はモアブの王エグロンに力を授けて、イスラエルを苦しめた。主は、ご自分の民を懲らしめ、訓練をするのにあえて異邦の民を用いることもある(イザヤ10:5,6; ハバクク1:5,6 等)。主はすべてのことをご存知で、すべてのことをみこころのままに治めておられる。私たちの人生とその日常一切は、主の目の前にある。迷い出やすい私たちは、日ごとに悔い改めて、主と主のことばに立ち返ろう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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