「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2018.6

2018-06-23 19:58:42 | 仏教
ひろさちや81才の講座。

元は、インド哲学を勉強。
学生時代、浄土に行くより、地獄で鬼と一緒に酒盛りをしたほうがよい
という学生もいた。

(若干聞き取りにくいところがあったので女性講師が
どういう経緯で登場したのかはわからなかったが)
女性講師に、浄土に行ったら前に生きていた人に会えるといったら
、会えなくてもいいから地獄でもいいと言った。お姑さんや、夫にも
会いたくないので・・・。でも地獄だと誰にも会わないですよというと、
地獄はやっぱり・・・という女性講師の反応。
地獄に行くと、1兆年もい続けなければならない。



おばあさんの定義。
例えば子供がいるが孫がいない。でもおばあさん。

女性を辞書で引くと、子供を生む能力があると書いてある。
では、子供を生む能力がなくなったら女性ではないのか?・・・

イスラエルの学者の説では、生物学的に、
おばあさんがいるのは、ごんどうくじらと人間だけ。
他の動物は、年をとっても子供を産む能力がありつづける。
ごんどうくじらは、群れの母親に代わって子育てもする。

おんぶおばけというのがある。
おんぶして向こう岸まで言ってとたのまれ、着いたのに
いつまでもおんぶしてはなれない。

そんなとき、無理やり振り払って、後で、呪い殺される。
あるいは、まあ、そんなに重くもないし、このままでもいいか・・・。
そのうちに自然にはなれていく。
問題が起きても、日常生活そのまますごす。
貧乏だったら、貧乏のまま生きる。
仏教はそういう生き方を推奨する。

おいしいものを食べるではなく、
おいしくものを食べる。
これが仏教。

浄土とは、心の中にある世界と考えてもよい。

推定と見なし。胎児がお腹の中にいる。
民法上では、人と見なしている。
推定はそれに対し弱い。

浄土は、ほぼあるんだという見なしとして
考えてみてはどうか。


2012 96才で母が他界。母の夫の50回忌をやったという
めずらしい経験も。(夫はシベリアに抑留され死亡)

みなさんも、浄土へ行きますよ。→聴衆(笑)

ぼけたら周りに迷惑をかけるからと、
母がぼけ封じに行ったと聞いて、
母に説教した。
人間は、今生きているだけで迷惑かけてるんですよ。

ぼけるかぼけないか、あみださんにまかせればよい。

浄土は、光にあふれている。
ものが見づらい。

京大時代のかつての生徒が教えてくれた。
南極では、ホワイトアウトといって何も見えないらしい。

光ばかりで影がないから、見えづらい。

浄土に持っていくとしたら、何を持っていけばよいか。

影の部分。悲しんだこと、悩み、苦しみ。
みなさんも悩みを持っていると思いますけど、
しっかり、いいお土産を持っていってください。

この世の中でいい思いをしようとするばかりではダメ。

悩み苦しみをなくしたいとばかり生きていますが、
しっかりと、悩み、苦しみ、悲しんでください。
それらは、浄土に行くお土産。

悲しみを楽しめる。そんな生き方をしてください。

コメント
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