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護民官の数が6人から10人に

2022-01-02 01:16:45 | 世界史

 

==《リヴィウスのローマ史第巻》=

Titus Livius   History of Rome

    Benjamin Oliver Foster

【27章】

翌日の朝、独裁官は中央広場に行き、タルクイティウスを騎兵長官に任命した。タルクイティウスは貴族ではあったが、貧しかったので、軍隊では歩兵として戦い、最高のローマ兵とみなされていた。独裁官は騎兵長官を伴い民会に現れると、全ての日常生活を停止すると宣言した。「市内のすべての店は休業し、その他の取引も停止しなければならない。兵役の年齢の市民は武装し、没までにマルティウスの広場に出頭せよ。その際五日分の食糧と柵を作るための、先のとがった杭(くい)12本を持参せよ。兵士たちが武器をそろえ、杭を探し回っている間、兵役年齢より年上の市民は近隣の兵士の食糧を料理しなければならない」。

独裁官の命令に従い、兵士たちは杭を探し回った。すべての市民が熱心に命令を実行し、これを邪魔する者はいなかった。軍隊はいつでも出発できる状態になり、もし必要な場合すぐに戦う準備をした。独裁官が自ら部隊を指揮し、騎兵長官は騎兵隊を率いた。危急の時だったので、市民は歩兵と騎兵の両方を声援した。声援に応え、兵士たちは足早に行進した。夜のうちに敵のいる場所まで行かなければならなかったので、独裁官の部隊は急がなければならなかった。執政官が率いる部隊は既に三日間包囲されており、半日後にも破滅するかもしれなかった。時間が結果を左右する場合がある。独裁官の兵士たちは「急げ、旗手!」、「後に続け!」と掛け声をかけた。独裁官と騎兵長官は満足した。彼らは深夜にアルギドゥス山に着いた。敵の近くまで来ていたことに気づき、部隊は停止した。

【28章】

独裁官は暗がりの中を馬を駆って走りまわり、敵の陣地の位置と形を何とか見定めた。それから彼は大隊長にに命令し、食料を一か所に集め、兵士に隊列を組ませた。大隊長は命令を実行した。次に兵士たち長い隊列を組んで行進 し、敵を取り囲んだ。独裁官が合図すると、全兵士が叫び声を上げた。それからそれぞれの兵士が塹壕を掘り、杭を立てた。仕事が終わると、再び合図があり、兵たちは大声で叫んだ。その声は敵に届き、さらに執政官の陣地にも届いた。敵兵は恐怖に怯え、ローマ兵は喜んだ。包囲されているローマ兵は援軍の到着を知り、互いに祝福しあった。彼らは勇気を得て、出撃した。敵はますます恐怖を持った。この時独裁官が言った。「我々が到着したことを知らせておきながら、すぐに攻撃しないのはまずい。叫び声と同時に近くの敵を攻撃すべきだ」。

独裁官は「武器を取れ、そして私の後に続け」と命令した。執政官の部隊も叫び声をあげ、彼らが戦闘を開始したことを独裁官に知らせた。執政官の部隊が一足先に出撃し、少し遅れて独裁官の部隊が攻撃を開始したので、アエクイ軍は包囲されないための対策をした。つまり彼らはもたもたしている独裁官の部隊を相手にせず、執政官の部隊に打撃を与えることにした。アエクイ軍と執政官の部隊との戦いは朝まで続いた。一方で、独裁官は戦闘開始が遅れたものの、その後思い通りに戦うことができ、最後の仕上げをした。戦いの後半、アエクイ兵は独裁官の部隊との戦いに疲れ果て、戦闘を続ける気力を失った。独裁官はアエクイ軍を完全に包囲したうえで、再び攻撃した。それはこれまで以上に激しい攻撃だった。アエクイ軍は耐え切れず、戦闘を放棄し、独裁官と執政官に懇願した。「降伏するので、皆殺しをやめてほしい。我々は武器を渡して、去るので、許してほしい」。

執政官が独裁官に意見を求めると、独裁官は怒って言った。「彼らを懲らしめなければならない」

グラックス・クロエリウスを始め、敵の有力な兵士が鎖につながれて、独裁官の前に連れてこられた。コルビオの住民が追放された。独裁官は言った。「アエクイの人間を殺さないが、コルビオに住むことを禁ずる。またアエクイ兵は降伏したのであるから、鎖につながれねばならない」。

二本の槍が地面に突き立てられ、もう一本の槍が二本の先端に括りつけられた。(洗たく物を干す時のように)。横棒の役目を果たす槍に、アエクイの兵士の首輪が繋がれた。

(本文からコルビオの町はアルギドゥス山の近くに在ったと想像される。アルギドゥス山はローマの南東のアルバ湖の東岸にある。この辺りはラテン地域であるが、アエクイ地域の西端から近く、アエクイ兵はこの地域の略奪を日常としており、小さな居住地を形成していたようである。コルビオは消滅しており、正確な場所は不明)

【29章】

アエクイ族の町コルビオの住民は財産を残して追い出されたので、ローマ軍は莫大な戦利品を獲得した。独裁官はその戦利品を独裁官の兵士にだけ配った。独裁官は執政官と彼らの兵士に厳しい口調で言った。

「諸君に戦利品は無い。諸君は敵の捕虜になりかねなかった。執政官のミヌキウスは今後指揮官としてではなく、参謀として部隊を率いることになる。執政官にふさわしい行動をして、執政官に復帰してほしい」。

ミヌキウスは執政官を辞任し、参謀として部隊を率いた。当時の人々がこのように無条件な服従を示すのは、上官が権力を適切に、かつ上手に行使した場合に限られていた。執政官の兵士たちは、罰を与えられたことを恨むより、独裁官が自分たちを救援したことに感謝していた。彼らは独裁官に450グラムの黄金の冠を献呈した。また独裁官が去るとき、兵士たちは彼を「我々の守護者」と叫んだ。

市政長官クインクティウス・ファビウスは元老院を招集した。元老院は軍隊の帰還を祝うことを決定した。「独裁官と彼の軍隊は凱旋行進をしてローマに入場するので、市民は彼らを出迎えるように。捕虜となった敵の司令官と将校が先頭を歩き、軍旗に続いて、二輪馬車に乗った独裁官が走る。最後に兵士たちが行進し、その後を戦利品が運ばれる」。

市民の家々の前に机が置かれ、食べ物が並べられた、と伝えられている。人々は勝利の歌を歌いながら、ごちそうを食べた。彼らは楽しそうに冗談を言ったり、皮肉を言ったりした。その日マミリウス(ローマを助けたトゥスクルムの指導者)にローマ市民権が与えられた。これに反対する者はいなかった。独裁官は任務を終了するはずだったが、民会によるヴォルスキウスの裁判に立ち会うことになった。護民官たちは独裁官を恐れていたので、裁判を妨害しなかった。ヴォルスキウスは有罪となり、ラヌヴィウムに追放された。(ラヌヴィウムはアルバ湖の南。ティレニア海沿岸部の古都ラヴィニウムとまぎらわしいので注意)。

 

独裁官クインクティウスは就任から16日で辞任した。独裁官はローマに帰還したが、執政官ナウティウスはエレトゥムでサビーニ人と戦っていた。(エレトゥムはサビーニの町。ローマの北30kmにあり、テベレ川に近い.。Curesの南12km)。

ナウティウスは勝利し、サビーニ人の土地を略奪した。

またミヌキウスの部隊はアルギドゥス山に留まっており、格下げとなった指揮官ミヌキウスに代わり、ファビウス・クイントゥスが派遣された。

年の終わりに護民官たちが平民保護の法律を制定しようと扇動を始めたが、二つの軍隊が出征中だったので、影響力は小さかった。元老院は護民官たちを平民から切り離すのに成功した。しかし護民官の敗北は完全ではなかった。彼らは五回連続で護民官に選出された。この頃カピトールの丘で、犬たちが狼たちを追い回すのを見たと話す人がいた。異様な出来事だったので、丘を清める儀式が執り行われた。この年に起きたことは以上である。

【30章】

翌年の執政官はクイントゥス・ミヌキウスと  C・ホラティウス・プルヴィッルスだった。年初は対外戦争がなかったが、国内で紛争が起きた。同じ顔触れの護民官たちがいつもの法案のために策謀した。対立する両陣営が感情的になり、危険な結末になりそうだったが、まるでわざとのように、悪い知らせが届き、争いは中断された。アエクイ族の町コルビオに駐屯していたローマ軍が全滅した。(コルビオについては、28章の末部参照)。執政官は元老院を招集し、協議した。その結果、武器を扱える市民は全て兵士となり、アルギドゥス山に向かって進軍することになった。護民官が執政官の権力を奪おうとしていた時発生した危機は、これで終わらなかった。サビーニ族の軍隊が山から下りてきて、ローマの農地を略奪した。その後彼らは市内に近づいてきた。護民官は恐怖を感じ、徴兵を妨害しなかったが、ただでは引き下がらず、別の要求を持ち出した。元老院は条件付きでこれを受け入れた。護民官は約束を守るよう求めた。

「我々は五年間努力したが無駄だった。平民の保護はほんの少ししか実現していない。今後護民官の人数を10人に増えることになった(現在は6人)。必要に迫られ、元老院がこれを認めたのだ。ただし護民官の再選が禁じられた。護民官の制度ができて、36年になる。今回定数が変更され、4人増えることになった。増員分については貴族階級から二人、平民から二人選ばれることになった。今後の選挙はこのやり方でやると、はっきり定められた。また護民官の選挙はただちに実施される。これまでそうだったように、戦争が終わると、全ての約束が忘れられるからだ」。

徴兵が完了すると、執政官ミヌキウスはサビーニ軍に向かって軍を進めた。一方アエクイ軍はコルビオに駐屯するローマ軍を全滅させてから、オルトナを攻略した。(オルトナの位置は不明)。執政官ホラティウスはアルギドゥス山でアエクイ軍と戦い、多くのアエクイ兵を戦死させた。アエクイ兵はコルビオとオルトナから一掃された。コルビオの住民がローマ軍を裏切ったので、ホラティウスは彼らの町を完全に破壊した。

【31章】

翌年の執政官は M・ヴァレリウスと Sp・ヴェルギリウスだった。戦争はなく、国内の紛争もなかった。雨が多く、食料の備蓄が少なくなった。アヴェンティーノの丘をローマの市域とする法律が制定された。(アヴェンティーノの丘は7つの丘のひとつであり、ディアナ神殿も建てられていたが、市街化が進んでおらず、多くは郊外と同様だった。第6代国王セルヴィウスが建設した城壁は完成しておらず、東部およびアヴェンティーノの丘がある南部には壁がない場所があった。)

年が変わり、執政官は T・ロミリウスと C ・ヴェトゥリウスだった。護民官は、前年の護民官たちが再び選ばれた。護民官たちは平民救済法について熱心に演説した。「もし法律が実現しないなら、護民官の数を増やしたことが無駄になる。我々の二年間の努力はそれ以前の五年間と同様無意味になる」。

護民官の扇動が最高潮に達していた時、トゥスクルムから使者がやって来て、「アエクイ軍がトゥスクルムの土地に侵入した」と伝えた。ローマが危機にあった時トゥスクルムはローマを助けたので、トゥスクルムへの救援を後らすことは恥ずべき行為だと、人々は思った。二人の執政官がそれぞれの部隊を率いて出発した。アエクイ軍はいつものようにアルギドゥス山にいた。戦闘が始まり、七千人以上のアエクイ兵が戦死し、残りの兵は逃走した。ローマ軍は大量の戦利品を獲得した。ローマの国庫が枯渇していたので、執政官たちはこれらの戦利品を売却した。しかし兵士たちはこれに不満だった。護民官たちは兵士の不満を利用し、執政官を攻撃した。二人の執政官の任期が終了すると、護民官は彼らを告発した。

年が変わり、執政官はスプリウス・タルペイウスと A・アエティミウスだった。護民官 C・カルヴィウス・キケロが昨年の執政官ロミリウスを告発し、護民官代表の L・アリエヌスが昨年のもう一人の執政官ヴェトゥリウスを告発した。その結果二人の元執政官は有罪となり、罰金を払うことになった。ロミリウスは一万アス(アスはローマの最初の貨幣)の罰金を、ヴェトゥリウスは一万五千アスの罰金を払うことになった。この判決は元老院の一派の激しい怒りを招いた。しかし昨年の執政官の嘆かわしい運命にもかかわらず、今年の執政官の決心は揺るがなかった。二人の新執政官は述べた。「私たちも同じ運命になるかもしれないが、護民官に平民保護法を制定させないつもりだ」。

長い討論の結果、平民保護法が時代遅れであることが判明し、護民官たちは法案を取り下げた。また彼らは貴族に対して攻撃的な態度を改め、温和な態度で応対するようになった。彼らは争いを終了する方法を提案した。「もし貴族が平民の決定を拒否したいなら、双方から同数の議員を任命して、貴族と平民の両方にとって有益な法律を制定すればよいではないか。そうすれば両階級にとって平等な自由を実現できると思う」。

護民官の提案は考慮に値する、と貴族は考えたものの、結局彼らはこの提案を拒絶した。彼らは「貴族だけが法律を制定できる」という原則に立ち戻った。貴族にとって法律の良い悪いの問題以上に、法律を制定できるのは誰か、ということが重要だった。階級対立は解消できなかったので、有名なソロンの法律を書き写すために、使節団がアテネに派遣された。また使節団はアテネ以外のギリシャ都市の政治制度、習慣、法律を調査することになった。(紀元前454年)

 

 


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