これに対して、「大谷嶺」の名は、近代になって静岡県側から登った日本山岳会員の登山家、冠松次郎氏の命名と聞く。この山の東にある「八紘嶺」も同氏の命名らしい。当時の著名な登山家が名付けた「大谷嶺」の名称は、岳人の間に瞬く間に知れ渡ったことだろう。これが、古い事情である。
冠氏が登った当時は、国土地理院の前身である旧陸軍参謀本部の陸地測量部が、全国の測量と地図の作製を所管していた。現在の地形図に山名の記載が無いのは、冠氏の命名が公式なものにならなかったということで、「大谷嶺」も「行田山」と同じ通称のひとつでしかないということになる。
山は、見る方向によってその姿が違って見えることが多い。ひとつの山に複数の呼び名が付されていることはよく見聞する。この山に、ふたつの呼び名があったとしても、平成の世になって第二の登山ブームが沸き起こり、ここを訪れる登山者が急増するまでは特に問題はなかったのではないか。登る人が少ない山の名にこだわる人は珍しい。
そもそも、山頂標識というものは、任意に設置されてきたものだ。法で設置を義務づけられてもいず、設置者・管理者・仕様規格が定められているものでもない。全国の山の山頂標識を確かめても、山岳会など、登山団体が設置したものが大多数ではないだろうか。自治体の設置による標識であっても、登山者は民間の設置物と同格のものと見なしている。
新しい事情の発端は、山梨県早川町の西暦2000年のミレニアム記念行事にあったと見る。この行事の事業者は、地形図に標高1999.7mとあるこの無名峰(公式には)の頂上に30cm盛土し、「行田山・海抜2000m」と書いた立派な標柱を設置した。当時のマスコミもこれを大々的に報じている。
もしも、千年紀の記念を奇貨として、「行田山」の名を顕彰しようという意図が事業にあったとすれば、それは機会主義というものであろう。
郷土の山の名を、それと馴染みのない名称で呼ばれるのは、その土地に住む人々にとって楽しいことではない。早川町による山名標識設置の事業には、郷土を愛する心情が籠められていたことは理解できる。
しかし、真意がどこにあれ、ミレニアムを祝う西欧の習俗に倣って、何の関連性もない日本の山の高さを西暦に一致させるのは、付会に該るのではあるまいか。この種の付会は、われわれの社会では至るところで見受けられる。
われわれが付会を好む民族であることを示す好個の例がある。かつて、アメリカでオバマ氏が大統領に選ばれたとき、小浜(Obama)の地名がオバマ(Obama)大統領の姓のつづりと一致するからと、小浜市で盛大な祝賀行事がおこなわれ、記念の表示物が街中に溢れたことがあった。世界には、Obamaのつづりや音をもつ所は、他にいくつもあると思われるが、これを大々的に記念したのは、此処だけであった。
その時、小浜市にアメリカのメディアが取材に来たとか、その後アメリカからの観光客が増えたとかいう話を聞かなかったところをみると、この妙なこじつけは、彼の国では全然評価されなかったようだ。
極東の島国の住民も政府も、世界の中心、欧米で何かあると、それへの参加を願って牽強付会を敢えてする。喜んでもらおうとするのだ。素朴だが、阿諛であるから、自戒しなければならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます