私はよく由来という言葉を遣う。常に念頭にあるので、癖になってしまったのかもしれない。
過去と現在が連続している以上、過去を顧みずに現在を考えることは手順を端折ることになる。由って来たる起源から今日までの経緯に考えを巡らすことは、たとえ粗くはあっても、現在をより精確に理解するうえで、必要なものでないかと思う。
神社仏閣に詣でると、由緒書が境内に掲示されている。由緒となると史実ではなく、由来に創作や潤色が加わり、通説や伝説を取り混ぜたものとなる。由緒には、明らかに伝統を誇る気持ちが働いている。始祖・開祖を崇める心情もある。そのような思いが、時間の蓄積で凝縮し化石化すると、それはそのまま文化的な遺産となる。
歴代の住職や神職にとって、奉斎する寺社の由緒の歴史的信憑性は詮索する対象ではない。それを検証するのは彼らの職掌ではない。宗教そのものが、科学や実証とは馴染まない性質のものである。事実を究めることはある意味宗教組織にとってはタブーであって、それが史実と伝説が綯交ぜになった由緒書をもたらしているのである。
今日の皇室は政教分離の憲法のもと、祭司の任から離れて久しいが、その元邦の祭祀を掌った史実と、現在も皇祖神を祀る伊勢神宮の祭主と大宮司が皇族であることからして、歴史的に神道の大元、本家本元と見るのが正しい認識だろう。宮内庁が、所管する古墳のいくつかで学術的研究を禁止しているのは、是非はともかく、所管庁の立場から謂えば至極当然のことであろう。
日本の知識人は、歴史と共に儒者、僧侶、神官、貴族、武家の順に拡大して来た。江戸時代になるまでの記述家は、殆どがこれら支配階級の中から生まれている。しかし日本の知識人の構成には、明治になるまで、実証主義を奉ずる観察者・研究者の数が圧倒的に欠けていた。観察者・研究者を評価しない文化と、彼らを排除する政権の統治が長く続いたからである。この事実が、明治以後の日本の学術発展に歪みを与えて来たことはほぼ確実であり、今日も足を引っ張り続けている遠因であるように思う。
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