豊橋の街中を歩いていたら、刃物店があった。手工具好きの老生、引き寄せられるように店内に入った。
入口正面のケースに、いろいろな意匠のナイフや鉈が陳列されていた。ケースの隅の、商標登録本刃付「肥後守」の紙箱に目が留まった。忘れかけていた名称だった。
「これはよく切れるし、研げますよ」と云いながら、創業140年の老舗の店主は、ケースの上に箱と中身を出してくれた。
真鍮製のグリップから引き起こした微かに反りのある刃部は、まさしく昔懐かしい「肥後守」のものだった。カッターナイフ全盛の時代に、まだ製造されているとは思いもよらなかった。少年時代の友達に邂逅した思いがした(元気だったか?・・・)。
日本の小刀には、片刃の「切り出し」と両刃の「肥後守」がある。「肥後守」は商標登録された商品名だが、折りたたみ式ナイフの代名詞でもあった。
昭和の子供達はこれ1本で、鉛筆を削り、杉鉄砲・竹トンボ・ゴム銃・パチンコ(ゴム管と呼んでいた)のグリップフレーム作りなど、木工工作をこなした。今なら携帯は許されないが・・・・。
肥後守は、「武士の魂」ならぬ「昭和の子どもの魂」だったのかもしれない。もっとも、当時の文房具店で売られていたものは、廉価なプレス打ち抜きの量産物で、最初はよく切れたがすぐに切れ味が鈍り、研いでももとの切れ味にはならなかった。机の引き出しには、切れなくなった愛刀が溜まっていた。
現在の私は、アウトドアではビクトリノックスのナイフを愛用している。これはパンやチーズ、果物を切るには適していても、木の枝を切ったり、削ったりする工作には向かない。ステンレス製なので切れ味がどうしても本刃に劣る。
その点、肥後守の青紙割込・赤紙割込は、小なりといえども日本古来の打刃物の製法で鋼を軟鉄で挟んで鍛造するから、ブレードが細く薄くても強度と切れ味がある。それが、この小刀が木工工作や竹細工に適し、現代でも需要がある所以だろう。
昭和の時代は急速に現代人の記憶から遠ざかりつつある。豊橋の街は、ノスタルジーを触発させてくれる場所や物に事欠かない。過去と現在に、あまり大きな断裂が無いことは住人の安心の基で、それはたまに訪れる者にも伝わってくる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます