道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

食の冒険

2021年04月11日 | 食物・料理
私はこと食に関しては、勇気がある方だと自認している。食べることになると妙に冒険心を発揮する。どちらかと言うと、ゲテモノ嗜好の傾向がある。姿形がグロテスクなものに美味が宿るという妄念にとりかれているのだろう。

山菜、キノコ、川魚、鳥獣肉の中の、一般に普及していない食材に、若い頃からチャレンジして来た。有難いことに、妻は私に劣らぬ食いしん坊なので、協力もしてくれた。こればかりは夫唱婦随の二人三脚、初見の食材に怯むことなく挑戦し、失敗も多かったが楽しんでも来た。それでも妻は、クサヤの干物とフナ寿司、昆虫の佃煮の類は怖気を振るう。私も昆虫食、たとえば信州伊那谷のザザムシとか蜂の子、イナゴは食べられない。その程度の冒険心である。

若い頃、桜の花の咲く時節に、会社の釣りクラブの行事で大井川の中流域へ釣りに行った。
ツツジの咲く対岸の岩壁際の浅瀬に、数百尾のウグイが黒く密集し、バシャバシャ身をくねらせ水を跳ね上げていた。ウグイの産卵を初めて見たのはその時が初めてだった。

雄魚の放精で川水が白濁していた。それは壮烈な光景で、誰もが暫し釣りを忘れ見入った。
仕掛けを投ずると入れ喰い状態、わずかな時間で体長20センチほどのウグイが大量に釣れた。

アマゴやニジマスが生息していてもおかしくない大川の清流域で釣れた早春のウグイ、帰宅後の夕餉で賞味せずにはいられなかった。妻に頼んで、塩焼きと魚田にして食べてみた。

まずは味覚の鋭い賄い方の妻を先手に、意見を拝聴することにした。実はこの時まで二人はウグイを食べたことがなかった。遠州平野の河川下流域で体長50センチにも60センチにも育つウグイを知る身には、いざとなるとその姿を思い起こし、食欲が萎える。

妻の食後評は脂が乗って美味とのこと、それを聴いてから、おもむろに箸をつけた。
味覚だけでなく人情にも敏感な妻は見咎めた。私が妻に「味見」をさせたという。味見は「毒見」に通じる。怖気者のレッテルが貼られた。以来この齢になるまで、汚名を雪ぐ機会は与えられていない。

長野県の千曲川では、昔から「つけ場のハヤ」が春の風物詩で、投網で獲った産卵期のウグイを河原の仮小屋で調理して食べさせるとか。現在も土地の人々に愛され、都会から観光客を招き寄せる本邦最大の川魚食行事らしい。

ウグイは信州以北ではハヤと呼ぶ。関東では釣りの対象魚としても人気がある。
夏になると餌が動物性になり食味は落ちるが、冬季の「寒バヤ」は各地で味に定評があるようだ。

コイ科の魚特有の匂いを消すためにミソを用いる魚田が、最も理に適った料理かと思う。アユは塩焼き、ハヤは魚田というのが、山国の魚の標準的な調理法だろう。鯉料理も、味噌と醤油が無ければ立ち行かない。

食の冒険というと、極め付きがある。
多年山行を共にした年若の友人も食の探検家で、ある時シュールストレミングを手に入れ、試食を持ちかけて来た。元より怯む当方ではない。

噂に聞く悪臭を惧れ、人里離れた無人の避難小屋に一泊して缶を開け賞味した。案の定噂通りの臭いに辟易した。アクアビットという強い蒸留酒で、無理に胃へ流し込んだ。

小屋は標高1000mあたりの熊の出没域にあって、警告標識が掲げられていたが、翌朝確かめると、前夜小屋の外に放置した空き缶に熊や他の獣が寄って来た形跡は無かった。獣も嫌がる臭いなのだろうか?


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