道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

被災者用レーション

2004年08月15日 | 随想
2004年7月23日、新潟県の中越地方が地震災害に見舞われた。テレビは地震発生以来連日、現地の惨状を報道し続けている。

その報道番組で、被災者に配給されていた夕食の内容を見て驚いた。なんと、レトルト米のパックが各人に1個あて支給されているだけだった。被災者は停電で電子レンジが使えないので、そのまま封を開けて食べているという。

普通は電子レンジまたはお湯で加熱してから食べるものだ。パックの説明に書いてある。私も山で加熱しないまま食べたことがあるが、ボソボソしていて、とても食べられたものではなかった。 レトルト米は、予め焚いてあるから、加熱しなくても消化吸収という点では問題ないと考えたのだろう。しかし米飯というものは、冷い飯と温かい飯とでは別物である。救援する側(役場)に、湯を沸かし温めたうえで配給するという、配慮はなかったのだろうか?インフラ全滅、調理具全損が理由だろうが、工夫がなさ過ぎる。

もっとも、米飯だけがあれば良いというものではない。副食のない食事は栄養的にみて欠陥がある。このニュースのときは夕食だったが、昼の配給がおにぎり1個というのもショッキングな映像だった。これでは、ただ飢えを凌ぐだけのものだ。いまどき、保存性のよい副食物はいくらでもある。自治体の備蓄は米飯のみ、非常時だからこれで我慢しろと、云っているように感じられた。

被災者も救援者も報道機関もテレビの視聴者も、皆が非常時だから仕方ないとあきらめて納得しているが、これは甚だ誤った考え方だと思う。非常時だからこそ、栄養価が高くおいしい食品や、甘みのある菓子類などの嗜好品を摂らなければいけない。食べて活力が湧くものが、本当の非常食であろう。それらを備蓄しておいてこそ、災害への本当の備えというものではないか?

被災した人々にとっては、惨状が現実そのもので、その日以降はそれが日常になるのであって、決して一夜の悪夢ではない。仮の状態でもない。被災非常食に対する日本人の、発想の転換が必要だ。

私たちのメンタリティーには、どこかに不足欠乏に耐えて頑張ることを称揚するものが潜在してはいないだろうか?今だに災害時の食事は握り飯、という固定観念が染みついているように思える。何か事があれば、江戸時代そのままのマメマメしい炊き出し風景。それで皆が安心し満足している。そうでなければカップ麺が登場する。食事の内容に全く栄養的な配慮がない。飢えなければ好いという観念が固着しているとしか思えない。

終戦直後ならともかく、今日のように食品が多様で豊富な時代に、非常時だからといって、こんなお粗末な非常食とは情けない。 第一、炭水化物はすぐに体内でエネルギーに替わるが長持ちしない。ゆっくりエネルギーに替わるタンパク質や脂肪分を添えなければ、体力と気力を維持するための有用な食事とはならないだろう。栄養士が大勢いる現代日本の、あるべき姿とも思えない。

このTVニュースを見ていて、太平洋戦争中の、米軍と日本軍の歩兵の糧食の極端な違いを思い出した。登山に適当な携行食を調べていて、当時の米軍歩兵の戦闘糧食「レーション (Ration)」を知り、その目的合理性に感心した。そして、つくづく彼我の精神構造の違いを思い知らされた。食に対する思想が根本的に違う・・・

その違いは、60年を経て食の欧米化が進んだ現在でも、基本的には変わっていないように思う。今だにキャンプというと、飯ごう飯という固定観念が生きている。コメさえあればなんとかなる、という発想が根底に染み付いているようだ。ご飯と少量のおかず。そう言えば、戦国時代の足軽の戦闘糧食は干し飯だった。

第二次大戦当時の米軍兵士に支給されていた「レーション」パックの中身の一例は、シチューなど缶詰の肉料理がメインで、ビスケット、インスタントコーヒー、オレンジジュースの粉末、粉末ココアなど、主食と副食、嗜好品が至れりつくせりだ。食品を温める固形燃料もある。内容物はいっさい調理を必要としない。朝昼晩、三食毎の各パックには、食後の煙草と紙マッチ、チューインガムまで添える念の入れよう。これが、60年前の米軍の携行野戦食である。兵士のQOLへの配慮が感じられる。口先だけの「兵隊さんありがとう」ではなく、戦場にある兵士たちへのホスピタリティーが感じられる。

現在の我々の救急食、コンビニおむすびや災害用の乾パン、インスタントラーメンと較べてどうだろう。対戦していた日本軍の野戦食はコメと乾パンのみ、炭水化物だけだった。副食は現地調達。栄養バランスも何もあったものではない。米軍は味はともかく、このような栄養価の高いレーションを前線の兵士に隈なく配給している。 兵士の栄養管理面での心配はなく、また食糧の調達や調理に時間を割かないことから、休息時間を確保することができた。結果として、米軍の兵士達は、体力を保ち、高い戦闘能力と士気を保持し得たことだろう。

これに対して、主食を米に依存する日本軍には、主食副食その他をオールインワンにパックして兵士がそれを携行し、戦闘中であっても適宜食事を摂る発想は無かった。含水量の多い米飯は腐りやすい。もし日本軍に携行食の研究があったとしても、実用化されていなかったのだから無かったに等しい。飯盒という携行炊飯具がそのことを物語っている。

私には、今もって近代戦の戦場で炊さんを認める旧陸軍高官の神経が判らない。敵兵と対峙している戦場で火を起こし煙をあげる???炊さん文化が染み付いているのだろうか?同じコメを主食とする中国人との戦争ならまだしも、牧畜・狩猟民族との戦争では、到底通用しない考えだ。 

煮炊きが必要な日本人の常食は、戦争のような非常時には、甚だ不便なものだ。特に米は水を多用する。これを糧食にして機敏に移動し続けるなど、思いも寄らない。牧畜・狩猟民の欧米人の基本的な日常の食物は、極言するならほとんどが行動食で成り立っている。ベーコン、ハム、ソーセージ、チーズ、パン、そのまま野戦糧食とすることができる。和食は戦闘糧食に向かない。

現在の陸上自衛隊のレーションは、焚いた米飯や副食を缶詰等にしているものがあるが、焚いた米というものは重くパンやビスケットと比べハンディが大きい。炊飯における水分の増加で、単位カロリーあたりの重量が増え、缶の重さも含めると、携行する上での負担がバカにならない。携行には根本的に不向きなのだ。戦闘糧食は軽くて高カロリーが好い。 アルファ米というものがあるが、これも飲料以外に水を必要とするので失格だ。

あらゆる点で、米飯は野戦には不適当な食物なのだが、日本人はこれを食べないと力が出ない。何千年来これを主カロリー源にしてきたのだから当然だ。これだけあれば、なんとか成ると、全面的に米に頼っている。これがなくては、戦さはできない。 コメは支給するが、副食物は現地で各自てんでに調達しろという信じられない兵站思想が、戦国時代の内戦から、中国大陸での前の戦争まで続いていた。およそ、近代戦のロジスティックス思想とはかけ離れていた。農耕民族は、戦争や災害への対策をシステムとして発想できないのかもしれない。遊牧民族と著しい隔たりを感じる。

私たちの米の飯への思いには、もう信仰に近いものがある。それが、炊き出しのおにぎりに集約されている。祈りを籠めておにぎりを握る。祈りではダメなことが多いのだが・・・それで事が上手く行く訳のものでもないのに・・・

災害現場での食事も、非常時という点で戦場に近いものだろう。被災時に自治体が担うロジスティックスの計画立案にあたっては、被災者のQOLに充分な配慮がなされてしかるべきではないだろうか。

非常の事態に陥って、心身ともに疲労困憊の極にある被災者達が、気力や体力を回復するためには、栄養と味に配慮した非常食の提供が最優先されなければならない。今回の地震で露呈されたのは、救援する側にもされる側にも、その発想が欠けていたことだ。それが、たった一個の握り飯や冷たいレトルト米に表れている。

非常時だから、贅沢をいわず最低限のものを食べていれば良いという、過去のこの国の常識?は、そろそろ変わらなければならない。美味で栄養価の高い被災者用レーションの開発と備蓄は、この災害列島にあっては、国家が最優先で取り組むべき必須の課題ではないだろうか。再び、天明の大飢饉のような事態がこの国を襲わないとは限らない。戦争であれ災害であれ、人々の「気力と体力の源」は、三度の食にあることを、為政者は忘れないでもらいたい。

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