「何処の馬の骨」という言葉がある。自分との間に一切の関係性をもたない人間に対する意識を、これほど露骨に表現する日本語は、注目に値する。「馬の骨」の意味は中国語の辞書にあり、役立たずの意だという。中国人には侮蔑を含んだ極端な言葉なのだろう。それに「何処の」をつけて合成された日本語である。
これより表現は柔らかいが「赤の他人」も「見ず知らず」も、関係性が皆無であることを強調する用語である。他人と身内を峻別したがるこの心理は、いったいどこから来るのだろうか?
血縁、地縁で結びついてきた村落共同体の閉鎖された生活空間とか、村外の人間に依存しないで成り立つ経済の歴史が、このような閉鎖性をもたらしたのだろうか?
村内に篤実で村外に冷淡なのは、自己中心性の表れで、自己中心性は誰にもある。ムラ社会とは、自己中心性を淵源としている。功利性も作用しているだろう。自分という中心から同心円状に外周に向かって親密度が希薄になり、識別不能な円外は「何処の馬の骨」ということになり、冷淡な扱いになる。縁故主義というものも、自己中心性に始まるものであり、郷党意識への呼び水になる。
それと際立って対照的なのが、海外に対する態度である。海外は遠いから、最も疎であるかというと、そうでは無い。縁故を求めること尋常でない。遠くても、自分達に有益であったり憧れの存在には、熱心に親交を図る。先史時代から平安時代まで、朝鮮半島と中国大陸に対しては親密だった。近世以降は、中韓を除く海外には比較的好意的で、特に欧米には格別に熱い思いを抱いている。そこには、やはり憧憬と功利性が働いているのだろう。
どこの国でも、国境を接する国とは、歴史的に交渉が深く長く、それだけ紛争や利害対立のために抜き難い悪感情が沈潜するものだ。近親憎悪というものは、関係性が濃いから生ずる。日中、日朝、双方の民族には陋固として抜き難い捩れがある。これを解決するには、これまで経過したと同じ時間を必要とするだろう。一政権の外交政策などでどうこうできるものではない。捩れは同じ手間をかけなければ戻らない。偏見は偏見に至った時間をかけて正すよりほかはない。前より悪くしないよう、忍耐強く接し続けることが大切だと思う。
それにしても、我々の極端な他所者蔑視はどこにその源があるのだろう。江戸幕府の、人の自由な移動を抑制する政策、檀家制度・氏子制度という宗教に名を借りた村落共同体登録制度、田畑と米の生産による農業生産の構造、同質を好む心情、未知を恐れる人間一般の感情など、諸々の意識、感情が輻輳してここに至ったのだろう。
しかし現代は、異質なものも受け入れなければ、国も国民も立ち行かない。「何処の馬の骨」とか「赤の他人」などと言っていては、時代から取り残されるだろう。かといって、遠い国々に夢と理想を投じて憧れるのも時代遅れだ。
少なくとも、同朋に対しては、先ず他人意識という利己主義の悪弊を捨てなければならない。寛容は他者を認めることから始まる。
「何処の馬の骨」という発想は、リベラルの敵であって、早々に社会から駆逐されなければならない。
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