今年の9月26日から放映され、今月16日で終了する土曜時代ドラマ「アシガール 」は楽しませてもらった。
原作の森本梢子氏は言うに及ばず、脚本の宮村優子氏、演出の中島由貴氏など、制作スタッフの能力が高いことがすぐわかった。順序からいえば、制作トップのプロデューサーが優秀の一言に尽きるのだろう。勇将の下に弱卒無しということか。NHKの制作部門の健在を知って嬉しい。
他方膨大な制作資源を投入してつくられた大河ドラマ「直虎」も12月17日、第56話で終了する。こちらは放映開始後視聴率が下がる一方だったが、俳優高橋一生氏をはじめ各出演者の好演で起死回生が成り、無事終了に漕ぎ着けた。プロデュースの失敗は、歴然としている。
先ず脚本。「直虎」には原作に当たるものが無い。作家が全精力を傾け、世の評価を受けた物語が無い。誰も書こうとしなかった人物だ。それを主人公にテレビのための物語をつくった。それまで興味もなく、考察しても来なかった人物を、歴史家や考証家の扶けを借りて物語にする。佳いストーリーが生まれる訳がない。
そもそも井伊直虎は、近年になってたまたま史料で見つかった人物で、行動、言動、人となりを記録した文献資料は極めて少ない。したがって脚本家は、物語の創作とシナリオを同時につくらなくてはならなかった。
ふたつの異質な、それぞれに高度な能力を要する仕事を、ひとりの人間が同時にこなすのは無理というか無茶である。不可能に近い。小説家ではないから脚本家である。また作家には脚本は書けない。似ているが根本的に異質な、それぞれ専門性の高い仕事だ。二足の草鞋は同時に履けない。そんな仕事をさせる人間が間違っている。案の定、回を追うに従い脚本の粗さが目立つようになった。
よい脚本があってこそ演出は光るものだから、それについては論評を控える。言い出せば各回キリがない。一言だけ言わせてもらうなら、織田信長の着た切り雀一張羅、西洋風ガウンにはウンザリさせられた。
「アシガール 」と「直虎」、好対照のNHKのドラマが年末で終わる。
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