道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

アドミニストレーション不在

2017年12月27日 | 随想

今年も暮れようとしている。2017の年明けは、トランプ米大統領の就任で始まった。この時から、世界は異例づくめの、知性と理性を欠いた政治状況の暗雲に覆われ始めた。国内の政治も異例づくめだった。

現代は文明史の上では末期的な時代なのだろうか?政治も行政も経営も学術・教育も医療も、国家、社会のあらゆる分野で、形式に実体が伴わず制御が不能な状況が現れ始めたように見える。制度疲労などという生易しいものではなさそうだ。

人類がコンピュータという人工知能を手に入れ、超高速の演算と膨大な記憶容量を自家薬籠中のものとして、国家や自治体はもとより私企業や個人までもが自在に情報を収集発信し、その情報を有効に活用処理できる情報社会が現実になってみたら、案に相違して国家や社会のアドミニストレーションが劣化し、問題を解決したり回避することが困難になってきた。

国家のアドミニストレーションを担う日本の官僚機構が、かつての輝きを失ったように見えるのは、情報を独占して、所管事務を手際よく処理する従来の手法が使えなくなっているからだろう。法を整備し、予算を配分し、政策の立案・実行を独占する。議員に出す情報も、適宜取捨選択して企図した方向への誘導を図る。政策は、官僚の意図する方向へ進んだ。

ITによるデータ通信と情報共有のシステムは、バックアップと不可分で、必然的に情報の分散化、流動化を促す。重要な情報を限られた場所に留め置けない事情がネットワーキングにはつきまとう。機器は全て連結され、辿って行けば必ず情報の在処を突き止められる。ネットワークの中では、自分たちだけに都合よく情報を遮断隔離する手段はない。敢えてそれをしようとすれば、ネットワーク利用を止めることでしか解決できない。ひと時代前なら、国民の目から情報を秘匿することは容易だったのだが・・・。「寄らしむべし 、知らしむべからず」はもう通用しない。

少数のエリートの意思を内輪で極秘裡に政治や行政に反映させ、時の政権をリードしてきた官僚制度が、機能不全に陥るということは、歴史的変化と捉えなくてはならない。民主主義・自由主義は、今や政治制度としてではなく、情報社会の基盤として必須の条件になっている。独裁政治や全体主義では、ITの恩恵をフルに活用できず、社会は活力を失う。民主主義を排除した途端に、IT社会は崩壊する。

宗教的原理主義に扇動されるテロリズム、核ミサイル開発に端を発した軍事的緊張、原発の使用済み核燃料や放射能汚染物の処理問題、大気と海洋の汚染対策など、世界は急迫するこれらの難題に対処する術を持たないまま漂流し始めたように見える。これまでの社会の自律的な動きとは異なる動きが顕れてきている。

情報通信技術の進歩と輸送交通手段の高速化によって世界は小さくなり、人間が交渉や行動に割く時間は短縮される一方だ。電子取引は寸秒を争う。瞬時に必要な情報が集まり、情報に接したら即応しなければならない。レスポンスの速さが成否に関わる。つまり、戦略と戦術が限りなく近接して戦術が戦略を包含し、一体のものになるということだ。状況変化のスピードアップが、計画を実質的内容とする戦略というものの意義を失わせる。変化に即応できる戦術のみが、実効価値のあるものになる。

アドミニストレーションの構成メンバーと雖も、自分の頭脳で問題を分析し判断を下す時間的な余裕は持てず、スタッフを召集して検討する遑もない。スピーディーな判断を補助支援する人工知能システムが、巨額の費用をかけて構築されるが、システムは人間がつくるものだから、信頼性において100%の保証はない。しかもシステムが対処すべき項目は、増えこそすれ減ることはない。

国務大臣など行政の長や地方の首長、企業のCEOなど経営組織のトップは、近い将来、コクピットの中で計器とモニターに囲まれ、人工知能(AI)の戦術支援システムの統制の下で、ドッグファイトに臨む最新鋭ステルス戦闘機のパイロットに似た形で、権力の行使に当たらなくてはならなくなるだろう。権限は意思決定権者ひとりに集中し、分掌は許されない。政治的・経済的な決断に、熟考・熟慮の時間を許さない時代が到来している。

最新鋭戦闘機のパイロットの適性は、同世代人口1万人にひとりいるかいないかの稀少性だという。知力、体力、精神力以外の、多岐に亘る特別な能力を必要とするらしい。

社会生活や企業内生活を通じて、一般的に認められる能力でなく、孤独な戦闘機パイロットのように、世代人口1万人にひとりいるかいないかの特殊能力・適性をもつ人間でないと、トップの職務が務まらない時代がやって来るに違いない。もちろんその職務は、50歳を過ぎてはこなせないだろう。トップがそうなら、役員もそれに近い適性・能力がなければ立ち行かない。

あらゆる人事が、過去の実績や考課に依拠できず、未知数だが成功の可能性の高い、適性能力重視の方向に変わらざるを得ない。

社会が複雑化し問題が大きく重くなると、大衆参加と合議を前提にしてきた従来の政治制度は、必然的に機能不全に陥るだろう。政治家の信念や理念も、現実に対しては無力なものになる。

優れた政治的リーダーであっても、ひとりで問題に対処し解決することは不可能に近い。我々日本人は、福島原発事故の際の未曾有の混乱とその後の無策を体験し、今もそれを引きずっている。そこでは、専門の学者達の個人知は、ほとんど機能しなかった。未知なるものには、個人知は無力だ。集合知の有効な活用システムの構築が待たれるところだ。

早晩政治家にも、その政治的能力の適性が厳密に問われる時代になるだろう。政治家には政治家ならではの、適性能力があるはずだ。根回し、権謀術数は過去のものである。政治もIT時代には迅速性が問われる。適正検査をパスしているかどうかは、立候補の必須要件になり、公約に変わって、選挙民の負託に応える能力を備えているかどうかが、問われるれることになるだろう。

そもそも政治家は、戦闘機パイロットと同じように、世代人口の1万人にひとりぐらいの能力適性をもった人物でなければ、国政に参与できないのが本来の政治組織の仕組みであったはずだ。ただその原点に回帰するだけである。民主主義であって衆愚政治に陥らないためには、国会は、政治的に卓越した、能力適性のある人たちのみが集う場に戻らなくてはならない。選良とは、そのような人たちを指す言葉であろう。

終局的には、政治も経営も、人工知能(AI)システムに役割を分担させなければならなくなるだろう。職務に当たる選抜された当の実務者も、支援システムの指摘を的確に理解して組織を統御せざるをえない。

情報は全てAIが握り判断も提示する。最終的な決定だけが人の仕事で、その人には哲学がなければ決断できない。その責任は明白で誤れば待った無しに更迭される。高度なアドミニストレーションほど、そうならざるを得ないだろう。

デモクラシーのリーダー、アメリカにトランプという扇動政治家の政権が生まれたのは、彼の国がアドミニストレーション不在に陥った結果だ。あらゆる面で最先端をゆくアメリカが、真っ先に未知の世界に突入したのは、歴史的必然というべきだろう。

世界の国々は、アメリカの轍を踏まないよう、新たに自国独自の人工知能(AI)によって支援される政治システムを構築することに、挙って取り組まなければならなくなるだろう。好むと好まざるとに関わらず・・・。


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