世の中が豊かになって、外食が日常生活で当たり前になり、様々な食事を外で自由に選ぶことができるようになったら、皮肉なことに美味しいモノを食べられない時代になった。
昔は飲食は口コミで伝えられたから、美味しい店が有名になるまでに時間がかかった。立地条件の悪い表通りから入った横丁とか、ビルの狭間に旨いモノを食べさせる店がいくつもあった。
ブラリと気の向いた時に立寄って、その店の看板メニューを注文し、熟達の味を堪能することができたのは、昭和の中ごろまでのことだろう。昭和35年の東京オリンピックまでは、日本は食いしん坊にとって、佳き時代だったように思う。腕に覚えのコックさんや板前さんが、戦地から多勢復員し、個人で店を次々と開いた時代があり、その親方のもとで、味の修行を志願する若者たちがいた時代がその背景にあった。オリンピックの後の高度成長は、外食産業という、工業生産システムに倣う飲食企業群が台頭する時代になり、食の味は、画一化の一途をたどることになった。
こうなると、外でなく内で旨いものを食べる工夫を凝らさないといけなくなる。内食への回帰の波に乗って、男の手料理に情熱を注ぐ人たちが増えた。かく言う老生も、その波に遅れてはならじと、食事づくりに熱くなった。
幸い手間暇をかければ、食材は手に入る。幸い魚釣りをやっていたので、魚の目利きはできる。幸い木工好きなので、包丁研ぐのは苦にならない。肉や野菜についての知識とか調理法は、ありがたいことに、ネット上に溢れんばかりに情報が公開されている。
いよいよ男の手料理の出番と意気込んだが、半世紀もこの家の料理食事を取り仕切って来た親方が、新米の活躍を断じて許さない。男の手料理など笑止千万。亭主が何か食事をつくるということが猪口才なのだ。
ハーブだスパイスなどと素人がしゃらくさい。亭主は何もつくれない人間でいることに意義がある。特に、料理をつくって食卓に置いた時のドヤ顔が鼻持ちならない。不承不承味見してやっているのに、さも旨いだろうという顔つきには、心底虫唾が走る。
男の調理は、妻のアイデンティティを損なうものと知った。仕方なしに、乳酸発酵の仕組みについて密かに研究して、漬け物、ピクルス、ザワークラウトなど発酵食品という特殊分野に活路を見出した。
これにはさすがの親方も尻尾を巻いた。衛生観念が災いして、腐敗と発酵の違いが今ひとつ見極められないのだ。結婚前は白菜の漬け物が酸っぱくなると捨てていたと聞いている。仕方なしに、渋々亭主の唯一の手料理、漬物を黙認している。発酵食品は健康に好いから、文句のつけようがないのだろう。
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