道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

合理精神

2024年10月05日 | 随想
合理精神というと、冷徹を連想してしまう人がいるが、それは偏った理解である。合理性の高い人から、その様な印象を受けがちだからであろう。クールでなくホットな合理主義者も多い。

合理精神とは、心の持ち様が自然の理に適っていることである。したがって、科学的常識に則って物事を考える。情緒に惑わされることが尠い。そこが他者との同調の差し支えになることは多々あるに違いない。

合理の対極に、不合理・非合理・無理・理不尽がある。不合理な精神の持ち主は、非科学的常識をもって思考し判断し、物事に対処する。合理性の無いところに、有耶無耶・誤魔化し・隠蔽・虚偽が蔓延る。これらは不合理の果実と言っても好い。個人も組織も、合理性を失っては立ち行かない。

ところで、科学的知識の豊かな人に、合理精神を缺く言動・行動が顕れることがあるのは、一体どのような事情によるのだろう?

我執というものは、合理性の大敵である。妄執偏執は人から合理性を失わせる。誤った主観は執着を呼び精神の柔軟性を奪う。その結果、その人の合理性を損なうのである。
非合理な行為からは、混乱と迷走と不幸しか生まれない。行き着く先は破綻しかない。

人はどんな時でも合理性を失ってはならない。合理性の無いところ、実行責任も説明責任も果たせない。したがって、他者の理解も協力も得られない。


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