かつて、酒杯によって酒の飲み味が違うことを教えてくれた人が二人いた。ひとりは自他共に許す酒呑みで、洋酒(スピリッツ類)を飲むには、薄いグラスが好いとよく云っていた。もうひとりは女性で、彼女自身は愛飲家ではなかったが、ぐい呑みは息が籠もるから清酒を飲むに適さないと教えてくれた。
前者は、薄いグラスだとより滑らかに酒が口中に流れ、味覚に違いが生じることを述べたのだろう。日本酒でもビールでも、理屈は同じに違いない。
後者の指摘は、日本酒のデリケートな香りを賞翫するには、飲み手自身の息の匂いすら障りになることを云ったのだろう。云われてみれば慥に、我々の祖先は古くは平底のカワラケ(今も神事で使う)や漆塗りの盃を用いた。一般の人びとが西洋の酒杯を知った近代以降でも、日本酒にはもっぱら平たい盃や猪口を用いてきた。湯飲みのような筒型の酒器が利用されるようになったのは、戦後のことだろう。古代から、日本の酒が、わざわざこぼれ易い平底の盃で飲まれてきたのは、その微妙な香りを賞でるためであったのかもしれない。
日本と違って酒の種類が多い西洋では、種類ごと生産地ごとに、それぞれの酒の個性に合わせてより佳く味わうために様々な酒杯が工夫されている。西洋の合理性は多様な酒器にも顕れている。
残念ながら、日本の酒器、徳利や盃となると、現代のものは民芸調あり欧風ありいろいろな意匠のものが出まわっているものの、江戸期に汎く一般に認められ愛用されていたものを超えるものはないように思う。江戸後期に頂点を迎えた日本酒文化が優れた酒器を産んだことは疑いを容れない。何しろ、酒は清酒が主流だったのだから・・・・。
この江戸期伝来の酒器(特に徳利)は、昭和の中頃までは、よく使われていた。その後、冷酒、吟醸酒が一般化し、酒を燗付けして飲まなくなると、このタイプの徳利は廃れた。今ではほとんど見かけなくなっている。
数年前に廃めた店で使っていた徳利は、白地に青で絵付けされた伝来の意匠の磁器だった。容量1合5勺ぐらいの、白く細い注ぎ口から優美な曲線で肩から胴へ流れるその器は、手にすっぽり納まり、注ぎ易かった。現代の腰の張った徳利の持ち難さとは較べものにならない。機能にすぐれたものには美が宿るというが、この伝来の酒器もその典型だった。
話を枕に戻そう。
私は前記ふたりの先達の意見を聞いて納得し、薄手の平たい盃で清酒をを呑むことにしていた。偶々昔手に入ったパラボラアンテナのような形の磁器の高台盃は、ちびりちびり酒を飲むには実に具合が好かった。反面、ぐいぐい呑める人には、甚だ間怠るっこしく、歓迎できない酒杯かと思う。ぐいぐい派には、文字どおりぐい呑みが適している。
ちびりちびり派の薄い盃には、当然ながら縁が欠け易い弱点があり、大切に扱っていたにもかかわらず、7年間で清水焼の盃を5つも毀損してしまった。聴けば今は職人が絶え、薄い酒杯は造れないらしい。需要が少ないことが要因だったのだろう。
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