道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

性分と仕事

2021年10月26日 | 人文考察
人はその人の性分に合った仕事に就くことが何よりも大切である。しかし仕事は社会の必要を満たすものだから、誂える訳にはいかない。仕事の側が自分を選ぶ性質のもの、となると、人が自分の望む仕事に就ける可能性は極めて低いのではないか。
斯様な次第で、自分の能力・価値観・関心に合う仕事に就くことが出来た人は、僥倖に恵まれたことを欣んで良いと思う。

自分に合った仕事に就くことは容易でないが、社会は流動的である。適した仕事に長く就いて居られるかどうかは、自分の意思だけではどうもならない。個人の生活の基盤である職業が、その人の特性に合致していないことは、世の中では当たり前に観察される。

就職というものはどこか結婚に似て、ミスマッチは避けられないもののように思う。忍耐と諦めが、長く仕事を楽しむ秘訣でもある。これは自ら起した自営業であっても、同じことであろう。

人事の流動性に乏しいこの国では、欧米のように新人が職務内容と心服できる上司を求めて転職を繰り返すことは極めて難しい。下の者が上の者を評価することを不遜又は身の程知らずと考える固定観念は牢固として社会組織から抜けていない。下僚にとっての仕事の満足度は、職務の内容と上長の能力に依拠していることからすれば、それを容認する考え方が妥当だと思うが・・・

当然ながら就職情報は求人側が提示するものに偏る。求職者の側には、職務の内容を調査したり収集する場も術もない。
就職時における志望企業の情報量の尠なさからすれば、転職の蓋然性が高くなるのが道理である。それでいて変化を好まない社会は、今日でも、転職及び転職者に対する否定的な受け留めを払拭しきれていない。そう、この国では、転職は不利に働くのである。

機能組織・適材適所主義・職務給制度が貫かれていない企業風土では、真摯な求職者が最適の仕事に身を置くことは極めて難しい。
その大きな理由に、一斉採用主義と職務内容の非公開がある。
一斉採用主義は封建制の残滓だが、
新卒であれ途中採用であれ、私たちはその仕事に就くまで、就労する職務の具体的な内容をほとんど知らされていないのが実情だ。大学の就職課の資料でも、企業の側で公開する情報一辺倒で、学生のために、大学独自の調査資料を集積しているところは少ないのではないか。企業に職務内容を文書化した職務記述書が完備していたとしても、一般にそれは公開されないのが普通である。妙なことに、この国の仕事というものは、実務の詳細を隠しておきたいようだ。その方が、労務の管理上、企業に有益だからだろう。仕事の効率性、労働の生産性から見れば、閉鎖的で時代遅れに見えるが。

更に、職種というものは多岐にわたってしかも流動的だから、所属する企業は同じでも、異動や配置転換で職務の内容が変わることも多い。
職位の上がるのは歓迎されるが、性に合っている職場から配置転換され、馴れた職種が変わるのは、就労者には嬉しくないだろう。

畢竟この国では、性分に不適な仕事であっても、文句を言わず調和同調して職業生活を全うすることが、最も安全で無難な生き方と言えるようだ。
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