道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

ユーモアについて(その1)

2017年12月04日 | 随想
日本人はユーモアに欠けるとよく耳にする。頭ではユーモアの何たるかを理解してはいても、体質的にユーモアのセンスを我々が持ち合わせていないという事情は、何に由来するのだろう。民族性と一言で片付けられる問題ではない。

最大の要因は、この国の過去の儒学教育にあると私は疑っている。世界の文化国家を見渡すと、ユーモアの乏しいのはひとりわが日本だけでなく、中国・朝鮮など東アジアの儒教文化圏と言われる地域の民族に共通している。

周りの国々を、文化の低い蛮族とみなし、夷狄と呼んで憚らなかった中華思想を発想し、中国的観念論の世界を構築した中国人の心性には、生来ユーモアと相容れない感覚が根深く宿っているようだ。
人間というものは、異質の文化に触れそれを導入すると、その文化の担い手の心性までも受容する同化性があり、朝鮮半島の韓・朝両国も日本も、その影響を免れなかったと理解している。もちろん遺伝的に近縁の人種であるから、心性が近似している部分は大きいだろう。

文字の文化は仏教に先立ち、儒教を日本にもたらした。以来、儒教の教えは一貫して日本の支配階級の学問の中心であり、彼らの行動の規範と精神生活の支えとして機能し続けた。
江戸幕府は武士階級の知識に儒学(朱子学)を重用し、教学の基礎としている。江戸期の学問は漢学一辺倒といってもよいだろう。この漢学が、日本人の精神構造を型に嵌めた。

漢学とは、古代中国の古典を研究する学問で、実証科学でなく観念論の集大成でしかない。万巻の書があっても、所詮書いた人間の主観の産物で、実証的な証明も客観的な検証もない、凡そ科学とは相容れない特殊な学問体系だった。

幕末から明治にかけて、先進の知識を吸収するために欧米に渡った幕府や各藩のエリート達は、おしなべて学問所や藩校で時の教学の基本である漢学偏重の教育を受けた人たちだった。実用学として私的に蘭学を学ぶ少数の人々もあったが、彼らも教養の基盤はあくまで漢学だった。

各藩の俊英たちは、西欧の近代の学問・制度を短時日に学びとったが、ユーモアまでは身につかなかった。頑張って勉強しているときは、ユーモアどころではない。心に余裕がないとユーモアは生まれないし理解もできない。西欧近代の文化に追いつく為の先兵たちが、そのような心の余裕をもつには無理があった。

ユーモアを諧謔などと無理矢理日本語に訳していては、永遠にわれわれはユーモアを身近なものにできない。
二文字漢語にはユーモアに該る語が無いから「有情滑稽」と訳した人もいたようだが、何のことやら、その訳者の滑稽さだけが浮き彫りになるばかり・・・

自分たちに備わっていない感情や感覚は、自分たちの言語では的確に説明できない。したがって、借用語や造語を用いることになるのだが、やはり本質を正確には表現できないものである。ユーモアという英語は、日本語に翻訳できない。それは日本人に具わっていない感情・感覚だからである。

的確に説明できる語は無くても、本質を理解することはできる。
ユーモアの本質とは、それは自分を可笑しがる気持である。自己を韜晦しようとする含羞の感情から発する自分に対する揶揄である。自己への省察を欠いていてはユーモアは生まれない。

儒教国家の人々は、他人を嗤うことはできても自分を嗤うことができない。自尊心が強く、競争心が旺んな人々は含羞など持ち合わせず、他者に優越し他者を低く見たがる心性の持ち主で、それが災いするのだろう。尊大な精神に、ユーモアなぞ宿るはずもない。

これは、互いに相手を嗤い合い貶め合っている現代の日・韓、日・中、中・韓の国民の相互関係を見ると合点がいく。これらの国の人々は、自尊心が異様に高く見栄っ張りだから、他人に見下げらることをひどく嫌う。儒教に潜む人間差別の思想に毒されているため、優越と劣等の二元意識でしかモノゴトを見られないからだ。

他者を嗤って自分を嗤えない心や他者を侮り己を高ぶる心には、ユーモアは宿らない。
嗤われて些かも動じない強烈な自我精神の勁さが、ユーモアの感覚を磨く。自らを嗤いながら同時に他者を冷静に観察し、自分と変わらない卑俗と崇高の綾なす心裡を見抜き共感する心が大切だ。おそらく、ユーモアのセンスというものは、強靭な精神力の在るところにのみ存在するものだろう。

人の可笑しいところは嗤うが、自分の可笑しさを顧みないのは、ある意味傲慢であると同時に偏頗脆弱な精神である。これは須らく人間性への理解を欠いた古代中国由来の学問教育が蒔いた種に問題があると理解している。

ユーモアは、自分の欠陥に気づきそれを自覚し承認している人にこそ相応しい。人も自分も同じはずなのに、自分だけは嗤われるようなことはしていない、という誤った自負心は可笑しく滑稽だ。

これを昭和の戦後世代の人々に、完膚なきまでに指摘してくれたのが「綾小路きみまろ」だと思う。観客自身の可笑しさ・恥ずかしさ・愚かさを容赦なく辛辣に曝き、日本国中を笑わせた。この笑いは、それまで我々が知っていた笑いとは明らかに違っている。「きみまろ」の笑いは、それまでの日本のお笑い芸能とは劃然とした違いがある、ユーモアにより近い性質のものだった。「きみまろ」の笑いは、彼の個性に由来していると理解できる。

彼は観客を嗤う前に、自分自身を嗤う。自分の可笑しさを観客に露呈して笑わせる。観客はそれで安心し、自分が嗤われることを許し愉しみ、日頃の緊張に疲れた精神が解放されるのを感じる。「きみまろ」を嗤い、自分が嗤われ、心からユーモアの温泉に浸りきっている。他を一方的に嗤うことのない、イーブンな嗤いの関係である。これはきみまろの弛まざる人間観察の成果というものであろう。

和漢洋の学殖に恵まれた明治の知識人夏目漱石は「我輩は猫である」で読者の心を掴んだ。俳句にもユーモアを感じさせる句がある。森鴎外と較べれば、ユーモアのある作家と看做されているだろう。しかし私はそうは見ない。
ご本人は実は存外ユーモアのセンスに乏しかったのではなかろうか?ユーモアの本場イギリスへの留学で神経衰弱に陥ったことが引っかかる。傑れた知能で、ユーモアを頭では完全に理解していたが、それを血肉に出来なかったのではないか?彼はエリートで、自分を嗤うことなど、決してできない人だったと思う。卓れた漢学の素養が災いした面があったのではないか。

旗本の家に生まれ、幼少で他家に乞われて養子になり、自他共に許す俊英だった。自分を嗤うことなどどだい無理というものだろう。
弟子には寛容だが、家族には気難しかったと聞く。比較的短命であったことは、その神経の鋭敏さや多面的な個性と無縁でないかもしれない。漱石は、強勁な精神をもち合わせなかったから、ユーモアの人にはなれなかった。
ただし彼は、「吾輩は猫である」を書く前に失恋をした。私は、その失恋が、彼にユーモアを芽生えさせ、一躍ヒット作を生む有力作家への座に据えたと見ている。

落語は架空の人物の可笑しさを、噺家が語り演じて観客を笑わせる芸能である。そこに登場する人物は、互いに相手を嗤う。相手を嗤いながら、当の本人がいつのまにか相手に嗤われている滑稽さが、聴く人を楽しませる。

漫才のボケ役は、自分の可笑しさをツッコミ役に指弾されてお客を笑わせるが、指弾する側もボケに翻弄されるから面白い。落語も漫才も、虚構で自他が嗤い合う関係を作りだして観客を笑わせる。常に客観しているから、安心して笑えるのだと思う。

先ず自分を嗤うことからユーモアは始まる。立ち位置を替えてみると、嗤える自分が見えてくる
自分を嗤うことができない者には、ユーモアは宿らないしユーモアがわからない。

ユーモアは、自己の存在証明や承認欲求に躍起になっている自分の滑稽さ阿呆らしさに自ら気付くことで、そのスタンスが生まれる。
誰でも自尊心・自負心の塊だ。その馬鹿らしさに気づいたとき、ユーモアがその人から漂う。

同じ人間としての痛みを共感できるのがユーモアの効用だ。想像力が働かないとユーモアは生まれない。
誰でも自分を好く見せたいものだが、見栄や衒いはユーモアの敵だ。ユーモアは意図して表出できるものではなく、自然に漂うもの。しかもユーモアは寛容性と不可分である。先ず他者を認める寛容性が求められる。他人の意見に耳を貸す余裕、それは、精神が柔軟であることの証明である。
心に余裕がない者にユーモアが生まれるはずもない。欧米で寛容が最高の徳目とされるのはこの謂だろう。

苦境に陥ったり歯を食いしばって頑張っているときには、誰もがユーモアどころではないだろう。だが、そんな時こそ、意識して立ち位置を替え自分を客観視し現実に立ち向かう。自分が置かれた悲惨な状況を、さも何でもないという一種の虚勢、ユーモアによって現実と闘う勇気を喚起する。それこそ、本物のユーモアであり心の余裕ではないだろうか?第二次大戦時の英国の宰相チャーチルが、良い模範例をいくつか提供している。

ユーモアのある人は数少ないから貴重である。どうやらユーモアは、学んで学べるものではなさそうだ。これも天稟のひとつという結論になるのだろう。

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