道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

自意識過剰

2021年08月11日 | 随想
年少の頃からの、極度な自意識過剰のせいで、女子とフランクに接することが出来なかった。妻とは同じ町内で育ち、幼稚園・小学校・中学校が2学年違いの顔見知りながら、大人になるまで口をきいたことがなかった。

女の子と仲良く遊べたのは、幼稚園までだった。年齢が上がるにつれ女子を避けるようになり、同級の女生徒たちと殆ど会話したこともなく高校を卒業した。

我ながら滑稽なのは、高校で昼休みのフォークダンス練習の輪に入れなかったことだ。男女手を取り合って肩を寄せステップを踏むなど、想像しただけで足が竦んだ。本当は輪の中に入りたいのだが、どうしてもできなかった。遠巻きにしてサークルの外から眺めていたのは私だけではなかったから、結構同類がいたのだろう。無邪気で健康な男女の踊りの輪を、妬ましく見ていたに違いない。

女性を「〇〇ちゃん」とか愛称で呼んだり、「〇〇子」「〇〇美」とファーストネームで呼び捨てにすることなど金輪際できず、苗字に「さん」をつけて呼ぶのが精一杯だった。
女子に親近感を示すことが下手な、シャイで堅苦しい男子だったと言える。そのせいで、思春期は好ましい女性との距離感を縮められず、もどかしい思いばかりを繰り返した。

いとも軽やかに、ニックネームやファーストネームで女子に馴れ馴れしく呼びかけできる友だちを羨ましく思ったりもした。親近感を演出するあざとさと邪推し、羨ましさを通り越して、憎らしくさえ感じることもあった。長じてそういう連中を中国語で遊冶郎(ゆうやろう)(日本語のチャラ男の感覚だろうか?)と謂うことを知って、言い得て妙と欣快を感じたりもした。嫉みである。

妙なことに私自身は、幼い頃から近しい女性たちに「〇〇坊」または「〇〇ちゃん」と呼ばれて育った。たまに名前を「さん」づけで呼ばれたりすると、ドキドキして自分が別人に成ったような気持ちになった。

社会人になり結婚しても、妻以外の女性とは気楽に話せなかった。
女性への呼びかけは年下でももっぱら「〇〇さん」だった。女性の側から打ち解けられた場合は、自然に対応できるのだが、自分の側から女性にアプローチする段になると、妙にぎこちなくぎくしゃくする

おそらく私の自意識過剰は、生育環境によるもので、異性に対する自己肯定感の乏しさに由来するのだろう。姉妹がいないひとりっ子だったことも、要因の一つかもしれない。様々な要因が相乗し、異性に対して臆病な性格が出来上がったと自己分析している。それは多年私を観察してきた妻の分析とも一致する。

ところがある年齢、すなわち男性性が衰え始める初老の頃から、斯くも私を苦しめた自意識が薄れ始め、女性に構えなくなり、男性と話す時と同様に普通に会話することができるようになった。女性とフランクに話せるのは嬉しかったが、同時に異性を意識しなくなったのは、哀しむべきことである。要するに私の自意識過剰は、終始異性に限られるものだったのである。

まことに自意識過剰というものは、人の幸福を損なう悪魔の最たるものである。それさえなければ、もう少し愉しい人生を歩めたかもしれない。
尤も神様は何もかもお見通しで、そういう私だからこそ、自意識を濃いめに植え付け、女性との距離を隔てさせたのかもしれない。









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