お酒をやめて、献酬という行為を一切しなくなってみると、これはユニークで好ましい飲酒の習慣だったと、つくづく懐かしく思う。
毎月の呑み会でも、ノンアルコールビールでの乾杯は、一同共に酔うという中身が籠らないので虚しい。
私たち日本人には、気心の知れた飲み手同士が互いに酒を酌み交わす、献酬という佳い習慣がある。これは日本酒を飲む時の習慣なので、洋酒を飲む機会が増えた昨今では、この行為は減っていると思う。
しかし日本酒がある限り、この世界に誇る淳風美俗はなくならないと思う。日本酒が海外に広まれば、外国人がこの風習を真似たり取り入れたりするだろう。これほど親愛感の籠った酒の飲み方は、他の国には見受けられないものではないか?と思う。
もっとも、酒が飲めない人とか、若い女性たちからは、歓迎されない忌むべき習慣だったかもしれない。
胸襟を開き合える上戸同士にのみ尊重される、良俗と言えるだろう。
もうひとつ別に、日本の男性には、好ましい女性に「おひとつ どうぞ」などとお酌をしてもらうと、妙に嬉しくなるだらしない習癖がある。
どんなに謹厳実直な男でも、やにさがって盃を重ねてしまう弊風である。お人好しというか好色というか、これも、他の民族に見られない習慣と言えるだろう。とにかく美人に酒を注いでもらうのが堪らなく嬉しいようだ。人ごとのように言うが、私も日本人の端くれ、例外ではなかった。
男どもばかりでなく女性にも、マナーとして控えているのだろうが、好感のもてる男性に酒を飲ませるのは、スリリングで心愉しいものがあるのではないだろうか?
男も女も、異性を相手に酒を飲むのは、若いうちは間違いの因になりやすい。
率直に言って、日本人の酒の飲み方は、欧米人と比較すると垢抜けない。一般に東北アジア人は、欧米人に比べ体質的にアルコールに弱いらしく、スマートな飲み方ができない。
「飲んで乱れず」というアルコールの薬理作用(古い大脳皮質の露出)に無知な中華由来の精神主義が、私の会社勤めの頃には罷り通っていた。
本気でそれを実践して見せるご仁もいたが、単にアルコール分解酵素が多いだけで、精神力がある訳ではなかった。亡くなる前に「一度思い切り乱れてみたかった」と悔やんでいたかもしれない。大昔の中国人の賢者の云うことなど、真に受けてはいけない。
度々指摘しているが、中国の大昔の学者たちは、出来もしないことを人に押し付ける天才である。
秋祭りの季節、神社に幟がはためいている。
日本の神々は、御神酒が大好きだから、祭りでは氏子も大いに飲み酔っぱらう。日本人から酒を取り上げたら、祭りを催行できない。
今は亡き山友と、鹿の啼き交わす声を聴きながら、テントや小屋で献酬を重ねた日々が懐かしい・・・
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