古い雑誌を廃棄する前には、誰でもざっと内容を確かめることがある。今から19年近く前、1990年1月の「新潮45」を棄てようとして、中野孝次の「貧しき美食家-ワインブームを嗤う-」という一文に目が留まった。日本が最も豊かであった頃に書かれたものだった。
中野孝次といえば、バブルに浮かれる風潮の中、「清貧の思想」を著して世に警鐘を鳴らした作家として知られているが、もともとはドイツ文学者とのこと、この文章は「清貧の思想」出版の2年前に書かれたものらしい。以下にその語録を抜粋するが、快刀乱麻を断つごとく、グルメに血道を上げる世相を切り捨てている。
『』は中野語録()は私の所感
『グルメなんて流行のために、どれだけの店、どれだけの食いものが駄目にされたことか』(それは間違いなさそうだ)
『およそ食いもの飲みものについてしたり顔で書くやつの気がしれないと思っている』(その頃、したり顔で書いたり言ったりしていた人達たちは誰だったっけ)
『日本の酒、日本の食いものがわからないで、どうして異国の酒と食がわかるものか』(うーん、耳が痛い)
酒と食は風土と一体であって、そこに棲む人種民族の体質・食性と生産・生活の形態に深い関係がある。食は文化の実質の一部である。
『自分の国の本物の味を知らなきゃならない。これが基本である』(そのとおりだが、今日、本物の味を知ることは容易ではない)
それにしても、この耳に痛かった自分の国の本物の味云々の言葉、以来肝に銘じて忘れないようにしている。
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