道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

どくとるマンボウ

2009年05月17日 | 随想

まだ新幹線が無かった頃、高校2年の春だったと記憶しているが、京都観光に行く車中で、北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」初版を読んだどくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)

読み始めてまもなく、頁を繰る度に笑いを誘われ、ときには周りの乗客を憚らず、吹き出してしまうこともあった。笑いをこらえこらえて読み進み、目的地に着く前に読み了えた。

それまで、この本ほどにユーモア溢れる文章を読んだことはなかったから、この一冊で、ドクトル・マンボウのファンになった。マンボウが魚の名前であることもそのとき初めて知った。以後作品を好んで読むようになった。文章に顕れるユーモア精神というものを知った。

それから20年以上経たある年の夏、観光旅行で英仏海峡を英国のドーバーからフランスのカレーに渡ろうとした。ドーバーの港で、数ある便船の行先に、ベルギーのオーステンドを見出した。急遽行先をその港町に変更し北海を渡ったのは、「・・・航海記」の中に、其処に寄航したときの記述があって、それが深く印象に残っていたからだと思う。この地名を地理の教科書で知っていたのなら、おそらく立ち寄ろうとも思わなかっただろう。

今年の3月に新潮社から出た「マンボウ最後の大バクチ」を新聞の書評欄で見たとき、書名の「・・・最後の・・・」ところにギクリとなった。思えば、「・・・航海記」からほぼ半世紀、当時30台前半の作者は今80歳を超えていてあたりまえなのだが、作品を介して作者に接する読者というものは、作者が年をとることを実感し難い。

年来、自ら躁鬱病と公言して憚らないこの作家の現在が急に気になり、早速その本を読んでみた。「まえがき」と「おわりに」が書き下ろしで、中身は1999年から2008年までに雑誌や新聞に掲載された随筆や旅行記で構成されていた。老齢になって書いた作品群だから、どうしても回想が多くなる。

巧まざる韜晦が笑いを誘う文章は相変わらず。ウソともマコトともつかない話で読者を煙に巻くのは、いつもながら作家の遊び心の発露かと思う。ただ、文中至るところに、死の言葉が陽気に躍っているのがいささか気に懸った。人は長生きをすればするほど生に執着するものと理解しているのだが、ユーモア精神を失わないこの人には、生への執着が感じられない。躁のなせる心理なのだろうか。

欝の時は原稿用紙一枚も書けず寝たきり状態となり、躁の状態になると、ギャンブルに熱中したり一夜で短編を書きあげてしまうと云う。してみると、作品は躁状態の所産と言える。一愛読者としては、どくとるマンボウに躁状態が少しでも永く続くことを切に祈るばかり・・・・。

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