道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

老いらくの恋

2012年10月15日 | 恋愛
ひと昔前までは、老いらくの恋というと、人の耳目をそばだたせるに充分なものがあった。したがって当事者は世を憚り、隠したがった。

今日では老タレントたちが、競い合うように年齢の離れた配偶者を選び、これ見よがしのパフォーマンスを繰り広げる。それをテレビ・週刊誌が取り上げ煽り立てる。
  

老いらくの恋という言葉は、明治生まれの歌人で実業家でもあった川田順という人の、「墓場に近き老いらくの 恋は怖るる 何ものもなし」という大層情熱的な歌によって、一躍世間に広まったそうだ。     

この人、28歳も年若の人妻と恋愛関係に陥り、そのときの心境を詠んだのがこの歌だという。既に妻はなく齢66歳。大歌人の情熱は、年齢差、世間の批判を乗り越える。しかし、思いを遂げるにあたって周辺との軋轢に悩み、自裁を決意したこともあったらしい。

墓場に近いと詠んだにもかかわらず、その女性が夫と離縁した後に結婚して20年近く連れ添った。案に相違して墓場は近くなかったようだ。幸運の女神は、ふたりに微笑んだものとみえる。

歌人が年齢差を越えて女弟子との恋愛に奔った例のもうひとつが、かのアララギ派の重鎮、斎藤茂吉のケース。相手は愛弟子で松山の医師の娘、24歳の独身女性だった。   

当時52歳で妻帯者だった茂吉は、この愛人に情熱的な120余通の恋文を送ったという。やはり並の人物ではない。その中には、顔赧らめずには読めないものも相当数あったらしい。ご当人は読後直ちに焼却するよう愛人に言い付け、安心してせっせと思いの丈を恋文に認め送ったようだ。

だが愛弟子で愛人の彼女は、師の命に逆らってそれらの恋文を処分しなかった。既に師弟の関係を越えた男女の間柄、茂吉の言うことなど、聴く耳をもたなかったのだろう。茂吉の死後10年を経て、恋文80余通は公開されてしまった。残る40余通は、顔赧らめずには読めないものばかりだったと、想像を逞しくせざるを得ない。愚生もその1通を顔赧らめながら読んだ。初老の人物とは思えない、直截的というか官能的というか・・・

ご本人は茂吉の一周忌に全てを公表したかったのだが、茂吉周辺の人たちに懸命に慰留され、時を待ったようだ。その執念たるや、やはり並みの愛人ではない。茂吉からの恋文を捨てることなど、死んでもできなかったに相違ない。

男女の仲に師も弟子もない筈だが、愛人に焼却を命じたら実行されるものと信じた、斎藤茂吉の身勝手さが滑稽である。この精神科病院長にして歌道達人の大先生、存外女性の心理には昏かったということだろう。

何しろ茂吉は幼少より神童の誉れ高く、まだ15の歳に、学費と生活の一切を保証され、東京で精神科病院を経営する斎藤家の養子候補に選ばれた。医師に成り、当主に望まれ娘の婿になった。したがって恋愛の経験は皆無だったはずだ。

奔放で我儘な家(病院)付き娘との結婚生活は、本人には苦渋を強いるものだったのだろう。妻に辟易していたから、美貌で才気に溢れる愛弟子との恋に落ちたのも、むべなるかな・・・

恋人からのラブレターを保存するのは、女性本来の習性かと思う。ただしそれが、自身に不利益をもたらすのでなければの話だが・・・

恋文は過ぎ去った恋の縁(よすが)と言うと、いかにもロマンチックに聞こえるが、女性にとっては情熱を燃やした恋の証拠品であり勝者の戦利品でもある。

恋そのもは泡沫のごとく消滅してしまっても、恋愛の事実、相手の恋情は文面にしっかと記されている。まして世にときめき、自らも敬い慕う師匠が切々と恋情を訴え認めた恋文である。数多の相弟子との目に見えない競争に勝ち抜いた記念の品であり、自分の魅力の証しでもあろう。そんな大切なものを捨てられる筈がない。茂吉と自分との恋愛を、後の世に知らしめたいという衝動に駆られたとしても、彼女を非難するには当たらない。そもそも愛人に沢山の恋文を送っておいて、読んだら焼却して証拠を隠滅せよと云う方が朴念仁というものだ。

共に歌人の老いらくの恋であっても、前者と後者とでは対照的である。当事者の幸福度に隔たりがあるように思う。

前者は当事者双方が恋に潔く素直で自然だが、後者には、当事者双方に不自然な作為が感じられる。特に、親ほど年齢が違う茂吉の行動が実に世故い。敬愛する北杜夫の父君であるので、これ以上は書かない。

次は、和歌というわが国固有の詩形に具わる、恋情の①誘発②励起③増幅の機能と効果について、愚考を披瀝してみたい。


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