道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

恋の失速

2022年04月26日 | 恋愛

恋人に嫌われたのでも、双方に異性との問題が生じた訳でもないのに、何故か恋情が消失し、熱愛していた恋人と別れてしまった苦い体験をおもちの方は、男女ほぼ同数おられることだろう。遠い昔の、若い頃の恋愛を思い出していただきたい。

順調円満な男女の仲なのに、一方の恋情が突然冷めて恋が失われるのはどういうことなのだろう?恋愛につきものの、不可思議な現象である。

若い男女の恋では、どちらの側の恋情にも、航空機が失速する時のような事態が発生することがある。恋情の急上昇が失速の原因である。
速く高く揚がろうと急ぐあまり、翼の迎角が大きくなり過ぎて揚力を失ってしまうのが航空機の失速である。
同様に、情熱という推力を過信し、熱愛のあまり一気に恋の高みに舞い揚がろうとして引き起こされるのも恋の失速で、当事者の一方に原因が有る事故であり、恋を破綻消滅させたのだが、実は当事者双方の身を救ったのである・・・

祖母がある時、まだ恋なぞ知らない小学生の私に、男女の恋情について、2本の温度計の表示温度に喩え諭したことがある。
恋の当事者の片方の温度(恋情)が高まると、もう一方の温度(恋情)は相対的に下がるようになっているのが普通の恋であると言う。その結果、高くなった方の温度は下がり始める。すると今度は、低くなっていた方の温度が高くなるのだとか。この交互に跛行する男女の恋情のアンバランスな動きが、恋を自律的に安定させ、当人たちの恋情を正常を保つのだと言った。

双方の恋情温度が共に高くなるのは最悪で、2人に死の危険が迫るとも云っていた。2人の恋の成就に何らかの障害が発生すると、儚んで心中してしまう虞があるらしい。それ程熱烈に恋し合っている状態である。
世に有名な心中事件というものは、そのような、双方共に恋情が極度に高まった恋人たちが引き起こすものとか。人は相思相愛を理想とするが、度が過ぎると険呑になるということである。

私は子ども心に、未だ知らぬ恋というものに警戒心を覚え、恋愛に憧れる思春期を前に、それを怖れるようになった。
祖母は孫の将来を案じてそんな話を聞かせたのだろうが、老婆心とはいえ、余計な心配をしてくれたものである。
その反動で、スタンダールの「赤と黒」を読んだ17歳から後は、恋愛至上主義に偏向してしまった。

当事者の一方の恋情が嵩じて失速し、恋情が消滅するのは、忌むべきことではない。熱愛の果ての悲劇を、未然に防ぐ自律的な補正の働きである。一方的な熱情が却って恋の継続を妨げるとは皮肉なものだが、それで好いのである。

「好き」とひと口に謂うが、当事者の恋情には必ず温度差があるのが通例である。恋情の跛行現象こそ、恋を永続させる自然の働きというべきものかも知れない。それが正しく作動しない時に、恋の失速というemergencyが発生し、恋は破れるが当事者双方は救われるのである。

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