木枯らしが吹き紅葉が散ると、県内の山野にも、裸木の林とカヤトの原が出現する。落葉樹の林とカヤトの原は、セットのような間柄。敢えてススキの原と言わずカヤトの原と呼ばせてもらうのは、日本の暖地に独特の、冬の低山歩きの好フィールドのイメージを、適切に表現したいからだ。雪の積もらない山地の、初冬の陽を浴びたカヤトの原の光景は、柔らかく暖かい。周囲の濃緑の針葉樹林や澄み切った青空との色彩の対比を眺めながらベ . . . 本文を読む
自分がたまたま植物好きなので、身内贔屓になっているかもしれないが、植物愛好者というものはほとんどが、生物多様性に対する視座を備えているように思う。それ無くして彼・彼女の趣味は成り立たない。趣味には、多様とは正反対に、固有ないしは特定に向かうものも多い。趣味の対象は多岐にわたりバラエテイに富むが、それら個々の趣味そのものには、多様性に対する素養を必要としないものもある。視座の違いが趣味に及んでいるこ . . . 本文を読む
蜂屋柿が、漸く干し上がった。渋は比較的早く抜けていたのだが、水分が十分抜けるまで待つと、やはり1ヶ月かかる。干し始めは13個だったが、1週間後に地元で買った百匁柿が加わり、数が30個 ほどになっている。干し始め干し上がり家内が極端に惧れていたカラスも、あれだけタフロープが垂れ下がっていると、何か特別な罠があるかと警戒して寄ってこない。鳥避けCDを吊るすまでもなかった。 . . . 本文を読む
老いて洒脱な生き方をしていたら、その人は、佳い老境に在ると見て間違いないだろう。洒脱とは、さっぱりしていて俗気がないこと。俗世に埋没していては得られない境地である。人生の晩期に入って、俗界を離れて初めて得ることができる境遇である。英語で謂うcozyでcomfatableな生活は、本人が洒脱でなければ到底実現できるものではない。老人なら洒脱かというとなかなか、加齢は俗気を多少希薄にしてくれているに過 . . . 本文を読む
私は子どもの頃は果物があまり好きでなかったが、果物好きの伴侶をもったおかげで、好物になった。桃・梨・林檎・柿を生食するのは、お菓子嫌いの私の楽しみである。男性は果物を剥くのが不得手というか剥きたがらない人が多く、またナマで齧るのが得意な人も少ない。私も例外でなく、剥いた果物を食べたい。しかし、同性の無骨な手で剥いた果物は食べたくない。不思議なことに、果物ほど女性に剥いてもらうと美味しい食材はない。 . . . 本文を読む