実は「ナポレオン」を観ようかとおもっていたが、私の行くシネマコンプレックスでは冷遇されていて、私たちが観に行ける時間の設定がなくしようがないので、「ゴジラ-1.0」を観ることにした。
とても面白かった。
今回のゴジラのユニークなところは、既にいろいろな人が評価していると思うが下記である。
1.初めてのゴジラの出現より早い敗戦直後に、ゴジラを生み出している。但し深海の生物で、原爆の影響によって巨大化したという基本は守っている。
2.ゴジラに対抗するのが、政府の武装組織ではなく民間のボランティア組織であるユニークさ
3.日本人軍人や民間人の敗戦時の傷ついた感情、そして疑似家族がちゃんとした人間ドラマになっている。
4.日本としてはかつてないほど良くできたヴァーチャルリアリティ、かつ日本人独特の間を生かしたゴジラの動き
5.ゴジラテーマ音楽の効果的活用
私はこの中で、民間ボランティア組織が対抗しなければならないというシチュエーションの組み立て方が面白かった。そしてご都合主義がありすぎるけれども、対怪獣戦争ドラマと疑似家族の人間ドラマがうまく組み合わさっていることに脚本や監督の頑張りを感じた。
そして、やっぱりテーマ音楽がいい。これが鳴りだすだけでワクワクする。
アメリカや海外で受けているそうだが、アメリカの場合はベトナム戦争、その後も戦争経験があり、時々それに傷ついた人の映画やドラマを観たりする。特攻帰りの人のPTSDの描き方には共感することが多いのではないか。(最近の日本人にはそれはない。)
そして、最後に戦争中に武器を使えなかった特攻兵が爆弾を積んだ特殊飛行機でゴジラに突っこんで致命傷を負わせて、実は特攻ではなくその機体に特別に取りつけた脱出装置で脱出できたことも、また亡くなったと思われた女性が生きていて、疑似家族がいっそう絆を深めて生きていくというのも、アメリカ人にとっては当たり前の解決なのだろう。
日本政府に対するパロディ満載のシンゴジラよりも、海外の人には絶対わかりやすい。
私がわからなかったのは、致命傷を追って沈みゆくゴジラに対して戦闘に参加した民間ボランティアたちが敬礼をしたことである。
帰ってからもいろいろ考えて、今は以下の様に考えている。
ゴジラは日本の軍国主義の化身の様なものである。軍国主義から言えば本土決戦を一億総火の玉で戦って、もしかすると総玉砕するのが美しい姿なのに、無条件降伏によって生き延びている。それはおかしいからゴジラを祟り神として差し向け、生き残ろうとしている人達と本土決戦をさせようとした。
この戦いはそれぞれの心の中の軍国主義との闘いでもあり、ゴジラに勝って軍国主義を葬ったということで、それへの決別のために敬礼を行ったのではないか。
もうひとつ、ゴジラがバラバラになった後に落ちていく肉片が脈動を始めている。これで輪廻がはじまるということが示唆された。
私はむしろ、そういった多量の肉片から深海で多量のミニゴジラが蠢き始める状況とか、肉片を食べた魚などが一斉に怪獣化する状況、もしくは小さな小魚達に肉片が完全に消化されるとかミニゴジラ化しても食物連鎖の末端として肉食魚に追い回されるため生育は難しい状況など、いろいろ想像した。
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