昭和50年11月21日を最後に天皇陛下の靖國神社の御親拝を中断しています。
この様な状態が40年も続き内外から靖國神社は戦争神社とも呼ばれる現状にあることも事実です。
70年前の昭和20年3月10日一瞬にして10万人の市民が虐殺される事件が起きました。
東京大空襲です。あきらかな戦時国際法違反であります、しかし日本は戦時中しかも自衛の為の戦争を
国民を戦火に巻き込まぬよう国外に武器を持ち出払っている状態です。
3月10日 東京大空襲
3月12日 名古屋大空襲
3月14日 大阪大空襲
3月16日 神戸空襲
3月25日 名古屋大空襲
4月1日 - 6月23日 沖縄戦
4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣総辞職
4月6日 菊水作戦発令- 6月22日
4月7日 戦艦大和沈没 鈴木貫太郎内閣成立。
4月12日 アメリカ大統領のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマン。
4月30日 ドイツ総統ヒトラー自殺。
5月2日 ベルリン防衛軍司令官降伏(ベルリン陥落)。
5月7日 ドイツ大統領カール・デーニッツ無条件降伏を受諾、ナチス・ドイツ滅亡。
5月8日 ドイツ陸海空軍代表がベルリン郊外カールスホルストで降伏文書に調印。
5月16日 ペナン沖海戦
5月17日から6月2日 九州大学生体解剖事件
5月29日 横浜大空襲
5月31日 台北大空襲
6月19日-20日 静岡大空襲
6月26日 国際連合発足(加盟50カ国)。
7月5日 第1次横手空襲
7月10日 仙台空襲
7月12日 宇都宮空襲
7月14日-15日 函館空襲
7月14日 北海道空襲
7月14日 釜石艦砲射撃
7月15日 室蘭艦砲射撃
7月15日 小樽空襲
7月16日 アメリカが原子爆弾の実験に成功し、マンハッタン計画完成
7月16日-17日 平塚空襲
7月25日 米国、原爆使用を決定し投下命令を下す。
7月26日 ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表、日本これを黙殺。
7月28日 米海軍、呉軍港爆撃(呉軍港空襲)
7月28日 青森大空襲。(米軍、青森へ新型焼夷弾を投下)
8月6日 米軍、広島に史上初の原子爆弾投下。
8月8日 日ソ中立条約を破棄し、ソ連対日宣戦布告、満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)
8月8日 福山空襲
8月9日 釜石艦砲射撃
8月9日 米軍、長崎に原爆投下。御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。
8月9日 大湊湾(大湊町)で海戦(大湊空襲)。事実上最後の海戦となる。
8月10日 第2次横手空襲
8月10日 日本、連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告。
8月14日 敗戦の詔が出される。中立国にポツダム宣言受諾を通告。中ソ友好同盟条約締結。深夜-15日未明土崎空襲。
8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)。南方軍これに抗議し戦闘続行。鈴木貫太郎内閣総辞職。
8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻開始(28日占領)。大本営、停戦命令を出す。
戦後、沖縄は沖縄と本土或いはヤマトとはっきり分けて呼びます。占領期間が違うからです。
しかし当時の沖縄県民は疎開さえせずに日本軍と共にたたかったのです。
そして戦艦大和に始まる菊水作戦は明らかに、沖縄が日本本土であることを物語っています。
陛下は沖縄が占領されたときに、終戦を決意された
と私は思っています。
昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて巡行された。行程は3万3千キロ、総日数165日。
戦火で父や夫又は息子、家族を奪われた者達は歓喜に沸いたのです。今では想像すら出来ないでしょう
占領軍の中には『石の一つでも投げられればいい』
と囁く者がいたようですが、只の一度もその様な
事がなかったのは言うまでもありません。靖國で逢おうと死んでいった者達に会うため遺族が靖國に訪れます。
悲しみに暮れる涙が御親拝によって歓喜の涙にかわったのです。日本人(遺族)にとっての靖國は最大の供養と心の拠り所であったのは紛れも無い事実だったのです。
現代の若者には理解し難いでしょうが、怨みで日本民族はいきていけない、天皇陛下の子供、大御宝としての誇りで生きてきた民族なのです。
これが理解出来れば、天皇陛下が靖國神社に御親拝されない異常性も解るでしようし、両者を貶めている力が何者であるかが見えるようになるでしょう。
300万人が亡くなり、戦争を体験した遺族もわずか、あと30年もすれば戦争を見た者すら一人も居なくなるでしょう。
生き残りの日本民族はその誇りを失っては存続しない事をもう一度考えてみて下さい。