天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

東京裁判の受益者という呪縛

2015-03-15 07:07:13 | 歴史

竹田恒泰氏が主張する我々生き残った日本国民は東京裁判の受益者である。は正しいのか?

つまり東條ら7名の所謂A級戦犯の刑死及びその判決をくだした東京裁判を否定することは

受刑者の死を『無駄死に』にしてしまう。だから受け入れねばならない。

その裁判によってもたらされた平和の利益を得てしまった我々日本国民は受益者なのだと言う論理です


勝者であるアメリカやその連合国が戦争の悪から無罪であるわけはありません。

アメリカによる原爆投下や全国の大空襲は無抵抗の市民の虐殺でした。

また、アヘン戦争で本格化したヨーロッパのアジア侵略が支那事変の遠因であることも間違いないでしょう。

マッカーサーは、神でない人間が行った東京裁判には必ずどこかに誤りがあるだろうと認めたうえで、戦争のない世界を作るためにこの裁判が必要だとしました。

広田弘毅元首相は、誤判の疑いが強い死刑を黙って受け入れました。

南京事件の死者を弔い南京の土で作った興亜観音を太平洋戦争前に静岡に建立した松井石根大将も平静な死に就きました。

刑死した7人のA級戦犯の遺骨は関係者の決死の努力で興亜観音に祀られ、のちに三ヶ根山に分骨し吉田茂が碑を建てました。

大々的に発表されることなく、ひっそりと人知れない山の頂きにあることすら不可解でなりません。

戦後の日本は、国家として東京裁判を受け入れて、アメリカを中心とした自由主義陣営に参加しました。

アメリカと戦ってまで守ろうとした国外の領土を全て奪われた日本が、世界第二位の経済大国になり

世界が尊い犠牲を払って得た国連中心の平和体制の受益者となったのです。

これを否定したら『戦犯が無駄死に』なってしまうという《ソフト恫喝。》

その日本の首相が、東京裁判は無効だという靖国神社の主張に反対でなければ、日本は民主国家ではない、軍事大国化を目指しているという《自己矛盾恫喝》

といったあらぬ非難を認めるようなもので、そして、東京裁判を主導したアメリカとの対立に行きつきます。《左翼的恫喝》

お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、左翼の恫喝と同じで、ただソフトに言い換えただけだと言う事です。

自虐史観の根源、更に言えば最後の壁なのです。
東京裁判史観、戦後レジームは受益者であるから否定してはならない。この呪縛に囚われてしまっているということなのです。


東京裁判の後の朝鮮戦争後のマッカーサーが証言した事。
東條英機が宣誓供述書で述べた事。
アメリカ外交官ジョージ・ケナンが述べた事。



戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだった。
ロシア(ソ連)、共産主義の脅威(明治維新以来ずっと日本が恐れていたもの)をやっと悟った。


断じて日本は侵略戦争をしたのではない。自衛戦争をしたのである。
国家自衛のために起つという事がただ一つ残された途であった。



アメリカは日本の勢力を支那大陸、満州、朝鮮から駆逐したことで自分たちの目標を達成したかに見える。
しかしその結果アメリカは過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任を日本に代わって引き受けなくてはならなくなっただけだ。

これら三者の見解が不思議なまでに一致しているのです。

さらにバル判事の
 『時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面をはぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神は、そのはかりを平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。』

国連の議長に韓国人、日本は未だ敵国条項を外されず、一番金を出す。70年も前の茶番劇のリンチショーの判決の受益者の待遇が未だにこれかと問いたくなります。

間違い無く東京裁判の戦犯達が刑死した結果の平和の受益だが、単にもう面倒だから、平和だから触るのはよそうと言う甘えがあるのです。

犯罪者としてせっかく死んでいってくれたのでしめしめと言う薄汚さを感じてしまうのです。

それを避けるように装う為、否定することは我々国民が犯罪者となる。のおかしな論理となるのです。

今正に、70年の時が熱狂と偏見をやわらげて、日本国民の理性で虚偽の仮面を剥ぎ取ろうしている時にあると思います。

よって、竹田氏の言う東京裁判の受益者であるの表現は自らを律する為の無用な混乱を回避する知恵とみることもできます。既に70年も回避してしまいましたが。

私はこの過去の遺物を否定はしませんが、いかんせん古いのです、まるで蛍光灯のようにパチパチと取替えを催促されている思いを禁じ得ないのです。

この受益者の呪縛を解くことこそ戦後レジームの脱却かもしれません。

しかしながら、70年間かけて受け入れそれに甘んじてしまった日本国民は覆す事が出来ても、70年かそれに近い時間がかかるかもしれません。

戦後奪われた目にはみえない、皇室への敬意、道徳心、パトリオティズムなどの欠落してしまった国民は必ずや何かしらの混乱を引き起こすでしょう。

この竹田氏の考え方も混乱を避けるか、或いはブレーキをかける非常に重要かつ重大な役割を果していくものかもしれません。

竹田氏は憲法学が専門ですが、自衛隊を違憲の存在と解釈する学者が多数を占めている憲法学界において、日本国憲法の条文について解釈する者が憲法学者だとすれば、それはあまりに形式主義的、法律万能主義的であると感じます。その理解において理論的解釈と現代政治や歴史に対する認識を伴うべきであると思います。

しかし、現在の大部分の憲法学者が認める通説の憲法解釈と、その基礎にある歴史認識は、明らかに歴史的妥当性を失ったものが含まれているのではないでしょうか。その根源に東京裁判を翻訳し、天皇廃止を唱え売国奴とまで呼ばれた者がパンドラの箱に鍵をかけたのではないでしょうか。

その鍵を受け継ぐ憲法学者の歴史的妥当性の欠如の最たるものが、憲法第9条であることは説明するまでもないでしょう。

この受益者の解釈も同様にこの国の憲法はいったい何世代先まで東京裁判の受益者と成り得るのでしょうか。